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読書録其の16(地政学の著作紹介-その一) 

書名:マッキンダーの地政学-デモクラシーの理想と現実
著者:H・J・マッキンダー
訳者:曽村保信
出版社:原書房
価格:(金3200円 + 消費税)
刊行年:平成20(西暦2008)年 第一刷

地政学の著作紹介第一弾として、有名なマッキンダーの著作をいつもの様式でご紹介します。
※():私注となります。
※[]:ルビ部分

・一般にわれわれがシー・パワーについて語るとき、よくその機動性[モビリティー]とか、またその行動半径の長いことなどが長所としてとりあげられる。しかしながら、とどのつまりシー・パワーを活かして使えるようにするものは、よく整備された、また生産力にすぐれた、安全な基地である。ギリシャのシー・パワーは、エジプトの河川文明とほぼ同じような段階を経て発達し、また没落の途をたどった。たとえ海軍力の保護がなくても、海上の通商が安全に行われるばあいがある。あらゆる沿岸地帯がたった一つの陸上勢力[ランド・パワー]によって占められたときである。(PP.47~48)
→如何に海軍力に優位があろうと、カルタゴやベネチアやオランダのように陸上が侵犯されれば、その源を絶たれた挙句「フライング・ダッチマン」となる危険性を端的な表現で述べている箇所。

・同時にまた英国は、その海上における支配をつじて、オランダ、スペインやイタリアに兵を送り、ナポレオンの勢力の背後を衝いて、これを消耗にみちびくこともできた。海上における勝利の頂点としてのトラファルガーと、戦局の逆転をうながしたモスクワとが、いずれもわれわれの真のヨーロッパの極限に近い位置にあることは、きわめて興味ふかい。ナポレオン戦争の本質は、西ヨーロッパと東ヨーロッパとのあいだの一種の決闘であり、両者の面積や人口にはそう大きな甲乙がないくらい、たがいに均衡がとれていた。しかしながら西欧文明の優越からくるナポレオン側の利点は、明らかに英国のシー・パワーによって相殺されてしまっていた。(PP.140~141)
→このあたりの見解と類似のものとして、『どの時代』においてもシー・パワーがランドパワーに対抗する手段と強調しているのが、マハンのシー・パワー論であるが、マッキンダーの場合はあくまでナポレオン戦争時代の前提として、英国本土という有力な作源から発生する海上機動力を利用して、ナポレオンに対してハラスメントによる消耗を促したことは指摘しているが、あくまで戦局の逆転はモスクワで行われ、終局はワーテルローという陸戦において決したことを忘れてはいない。

・東欧を支配する者はハートランドを制し、ハートランドを支配する者は世界島を制し、世界島を支配する者は世界を制する。(P.177)
→有名なるマッキンダーの語句なれど、誤解を多々招く表現が使用される部分である。この書を通読すると「東欧」とはアドリア海から北海の西側を指すため、ベルリンを含むドイツの大部分とオーストリア・ハンガリー帝国の全域及びコーカサス山脈の西側のロシアを指し、第一次大戦前の五列強(英仏独露墺)のうち3つの領域を含んでいるのがマッキンダーの定義する「東欧」なのである。そして「ハートランド」とは領域はロシア全域を含む中央アジアとペルシャ(イラン)及びモンゴル・チベットという領域を指しているが、当時の人口と国力をあわせてみるとコーカサス以西のロシア比重が圧倒しているという指摘がこの語句の前提となっているのである。そして更に言えば20世紀において登場した2列強国(日米)がこの語句からは捨象されているのも忘れていると痛い目にあうこと間違いなしの前提である。

・だからこそ、世界の諸国が一つの組織に融合された今(※国際連盟創設時の頃)、この世の地獄に代わる唯一のものとして国際連盟を支持する世の理想主義者達は、その全神経を東欧における国境の適正な配分にそそいでもらいたいのである。改めていえば、すなわちロシアとドイツのあいだに、どちらからも支配されない一連の真の独立国家群から成る中間地帯を形成することによって、その目的は達成される。(P.201)
→独露接壌国境をなくすという指摘は重要であり、この部分はまさに慧眼に属するが、問題は達成するための「独立国家群」なるものが、統一軍令部を持たないそれぞれバラバラな兵力のままで、これを単純加算して独露間の軍事バランスに拮抗しようとしても上手くはいかず、容易に各個撃破されてしまったのが後の歴史が教えてくれる重要なる教訓でもある。

・かつて戦前(※第一次大戦前)に多くの人びとは、戦争は到底許しがたいほどに広範な国際金融の崩壊をともなうから、絶対に起させてはならない、と説いていた。しかしながら、じっさいに戦争が起ったときに、われわれは敵の領土から引き上げた民間の信用を国家による信用に置き換えるという実に簡単な方法で、当時、英独両国のあいだに存在していた相互の信用供与のシステムをおただいに切り離すことに成功したおぼえがある。(P.212)
→よく我国では、相互経済交流が戦争を堪えがたくすると論じるが、残念ながら経済で戦争を止めることは出来ないことを第一次大戦は証明してしまったのである。

・なまなかな教育を受けた人びとは、心理的に非常に動揺しやすい状態にある。しかも、現在の世界は主としてこの種の人びとから成り立っている。これらの人びとは、観念に飛びつきやすい。が、その観念を実際に検証したり、またその間自分の心の不安定な状態に堪えたりできるところまでは到達していない。いいかえれば、つまり現代の人びとの大部分は非常にさまざまな"暗示"にかかりやすいわけだ。(P.222)
→これは自省を促される言葉である。

・ただし、社会主義者の度重なる宣伝にいたっては、今や(※1919年の頃)ほうっておけない段階にきている。ただの官僚的な社会主義の傾向は、最近の事件によっても批判された。われわれは戦時中の官僚の横暴な態度を知れば知るほど、彼らがこの国の永久的な主人公になることを望まないだろう。(P.241)
→第一次大戦級の戦争を戦った国は多かれ少なかれ、社会主義というシステムが現実において欠陥大なるものだと認めるのは、洋の東西を問わないことだと理解できる。

では紹介はここまでとしますが、古典と分類されるだけあり近年の地政学には無い率直なる論理の前提までをも書かれている貴重なる著作なので、国際政治学に御興味をもたれる人には一読すると現代の学術形態を持っている地政学(批判地政学)の無意識の前提なるものを読みとく上で重宝な道具として、例えるなら幾何における補助線の役割を果たしてくれる著作となりえますので、一読をお勧めしたいと考えます。

テーマ: 考えさせられる本

ジャンル: 本・雑誌

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読書録其の8(過ぎ去りし冷戦期の議論を辿る) 

書名:現代と戦略
著者:永井陽之助
出版社:文芸春秋
価格:(金1500円)
刊行年:昭和60年

それでは、いつものように引用にて紹介を致します。
※():私注となります。

・要するに日本の安全保障をめぐる真の争点は、次のことである。つまり、日本は、国際環境の変化いかんをとわず、まずこれだけは必要最小限度の兵力(基礎的防衛力)を拡充することが先決と考えるか、それとも、増大するソ連の軍事的脅威に対処して、日本の防衛力の増強にふみきるべきか、をめぐる論争なのである。(P.21)
→これが寄せて返す波の音のように我国防衛論議に一貫してながれる論調となっている。

・(※森嶋説や海原説を取り上げて)逆説的ではあるが、両理論とも、”明快”で、論理的整合性をもつがゆえに、日本の安全保障論としては、吉田ドクトリン以来のあいまいな正統派(主流派)の、卓越した政治的リアリズムに対抗しえないのである。両者とも、局外者、傍観者(評論家)の理論であって、当事者、責任者の理論ではないからである。(P.37)
→後段の指摘は今でも耳に痛いが、なかなか国民に防衛論議が理解されない点を明確にしている。

・(※西暦1982年夏のシリア・イスラエル間の空戦を紹介して)つまり、真相は、シリア戦闘機パイロットと地上管制官とのラジオ交信の傍受という、はなはだ原始的ではあるが、きわめて有効な情報収集能力をかくすためであった。つまりそのため、わざと、E-2C・ホーキー・レーダー機を口実につかったということである。(P.99)
→なんでも新技術で解決を図る米軍流の真似を推奨するのを慎重にさせてくれる。

・このことは裏がえすと、かりに完全な専守防衛型システムが完成されたあかつきこそ、人類は、核戦争の淵にたたされることになるえあろう。この逆説が理解できないひとは、現代の戦略をかたる資格がない。(P118)
→不吉な警告だが、TMDを推奨する人はせめてこの論理を頭の片隅において議論して欲しく思わされる。

・(※我国の戦前の軍部と戦後のソ連指導者を比較した後で)むしろ、われわれ日本人のほうが、自分で気がつかないうちに、国際常識からはずれた無法者になっているかもしれないことを、たえず反省しなければならない。(P230)

私自身は生まれが昭和54年の身ですので、冷戦の一端をほぼ見ることなくソ連崩壊という結果のみを体験した身ですので、この時代りどういう防衛論議がなされていたかを、この著を紐解いておぼろげながらその当時の雰囲気を知ることが出来る点で有益なものがあります。ただ、著者の「吉田ドクトリン」なるものがドグマと見分けがつかない硬直性を保持している点は、戦前の軍部のコントロール失敗の恐怖感から、戦後になって「軍そのものを小規模」にしてコントロール可能にしようという思想がよこたわっているように思えます。

テーマ: 読んだ本

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