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呟き(総てを現場に投げる前に) 

趣味でかつての日米戦争の戦史を紐解いていると、いまでも論争のタネとなっていることの一つに昭和19年のレイテ沖海戦における『栗田艦隊の反転』があります。私はあまり詳しくないのですが漠然とレイテ湾を目前にして撤退してしまった責任は栗田提督だと思い込んでおりました。ところが池田清『海軍と日本』を読了した後は、確かに現場における責任者は栗田提督であることは動かないのですが、捷号作戦として眺めた場合には軍令部(大本営海軍部)と聨合艦隊司令部が、現地部隊に対して作戦目標の優先順位変換を徹底出来ないという致命錯誤を犯していたことを知ると、問題は大きく異なってくるのではないかと考えるようになりました。

極端な話ではありますが、当時の海軍の優先目標の価値観は「軍艦> ||(超えられない壁) >輸送艦」というものであり、これを何十年と任務を通じて常に認識の強化を図っていたのは何も栗田提督だけでなく、海軍人ならばこの前提を当たり前としていました。この価値観については後世を知る者には議論の余地はあるでしょうが、当時の我国の海軍人がこうした基本思考形態を有していたという事実なのです。そうした認識を把持していた海軍人に対していきなり「軍艦ではなく攻略部隊を載せた輸送船を攻撃せよ」という作戦や命令というのは、彼等に対して基本思考形態(パラダイムシフト)そのものを変える性質をもったものなのです。

卑近な例ではありますが自分自身のシステム開発の経験でも、システムの基本部分を変更するというのは大きな摩擦が生じるものです。何故ならば、システムの基本部分を変更するということは、そこに付随する多くの開発ノウハウや運用実績並びにプロジェクト管理の見積数値等を放棄しなければならなくなるからです。これらがないということは事実上仕事を一からやり直すということになりますので、職場での抵抗は当然ながら高いものとなります。こうした状況に海軍は捷号作戦のときになっていたとは容易に想像できますが、では此の時に海軍軍令部並びに聨合艦隊司令部の行った「現場への指示」はといえば昭和19年8月10日のマニラで行われた会議と10月18日の電報での命令を行ったというものです。しかも現地会議では栗田艦隊の小柳参謀長は、「輸送船団と敵主力艦隊」の撃滅の最終優先順位を主力艦隊とする事に対して、聨合艦隊の神参謀が了承するというもので、はっきりいえば現場への意図の徹底など望むべくもない状態だと察することができます。

そして作戦決行時に電報を送ったとありますが、これは正直上層部の「イロケ」にしかならない行為だと考えています。もし軍令部と聨合艦隊司令部が本気でパラダイムシフトを行いたいのであれば、現地の司令部と綿密な打合わせを行い、「輸送船団攻撃>敵主力艦隊」という作戦意図を現地軍に伝えるのは最低限でも必要として、輸送船団に対する「効率的な撃滅方法」の訓練方法や装備の手当ても是非とも行わなければならないはずだと愚考するのですが、そうした努力は見られず「現場が臨機応変にやれないのが悪い」というのは性質の悪い冗談にしか聞えませんが、あまりこうした「意図を現場に伝える意志」が薄い上層部に対して大きな問題だと捉えないのは何故なのかと疑問に思ってしまいます。

テーマ: 雑記

ジャンル: ブログ

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読書録其の20(『最適化』の果に) 

書名:悲劇の発動機「誉」
著者:前間孝則
出版社:草思社
価格:(金2800円+消費税)
刊行年:平成19(西暦2007)年 第2刷

この本は発売当初興味を持ったのですが、その時は「1月後に買おう」と思い本棚に戻したのが分かれ目で、実際1月経つと店頭では全く見かけなくなり、数ヶ月して古書店を探しても出回っていないという、本屋漁りを趣味とする人ならば一度は体験するという「あの時買っていれば」と悔やむ体験をした書でした。それから2年以上の歳月が流れた今年の春先に、神田の書泉の棚に何気なく置かれているのを見つけ、すぐさまレジを通したという体験もあわせて行うことができた感慨深い本でもあります。ただ、気になるのはその書店は定期巡回している場所なので何故今頃出てきたのかを、頭の片隅では疑問に思い(『ゾッキ本』かな?)ましたが、気にしないことにしました。

さてそれでは、いつものように紹介を致します。

※():私注となります。

「正確にいうとこの光はサイクロンのフルコピーではない。サイクロンのボアストローク(シリンダー内径とピストンのストローク)が一五五・六×一七四・六(ミリ)であるのに対し光のそれは一六〇×一八〇である。したがって総排気量は光の方が約九パーセント大きい。中島飛行機の設計陣がこのような数字を選んだのは、自社の技術に十分な自信がなく、オリジナルエンジンと同じ馬力を出すためには、ボアストロークを少し大き目にとっておいたほうが安全だと考えたからだ。ところが井上技師は首を傾げるのである。母体であるアメリカ製のエンジンは公称が七五〇馬力であって額面通りの馬力が出るのに、中島製の光はこれよりひとまわり大きく作られているのに650馬力しか出ない。いろいろとその原因を追究しているがまだわからない。それでやむを得ず公称馬力を650馬力として出荷している」(P.93)

(※昭和15年五月頃のこと)和田は設計主任者である中川にも声をかけて励ました。「このエンジン(※誉)こそ太平洋の主導権を決めることになる。一年でものにしたまえ。必要なら純金を使ってもかまわん。潤滑油も買い置きがあるから、アメリカの一番良質なものを使ってよい。世界最高の技術を使い、最も高級な材料、燃料、潤滑油を使って高性能を出したまえ」(P.129)
→前提として、海軍の決戦思想に則った高性能至上主義が前面に出ているのが、「誉」開発の基本概念設計として内蔵されている。

精密部品を生産する工場で、いったんレベルダウンを黙認する考え方が浸透するとタガが外れたように、より品質の低下がエスカレートするのがモノづくりの怖さであり、落とし穴でもある。(PP.158~159)
→ソフトウェア開発においてもレベルダウンを黙認すると、簡単に想定以上の品質低下を招いてしまう。この事態を避けるために遠回りになるが、品質基準を決定し現場の人材のレベルに応じた生産手法を取り入れる時間をとる必要がある。

(※全体で77,000台生産したマーリンエンジンについて)ロールス・ロイスでさらに注目すべきは、第二次大戦に突入してのち、中島飛行機と同様に、工場には非熟練作業者が大量に投入された点である。女子労働者は日本より多くて、全体の三分の一にものぼっていた。にもかかわらず、「誉」よりも超精密といわれた「マーリン」エンジンの品質は落ちず、終戦まで生産を維持しつづけた。ロールス・ロイスでは、戦争がはじまる以前から、測定用の標準ゲージを採用したり、大量生産向きに工作機械を自動化あるいは半自動化したりして、未熟練者や女子労働者が操作しても、部品の精度が確保される工夫がなされていた。さらには、各工場では、一つひとつの作業のあとにはかならず検査を行い、品質を落とさない管理システムを確立していた。このための検査要員は、ロールス・ロイス全社の全従業員の一割を占める五〇〇〇人もいたのである。(P.242)
→この書でも指摘されているが、我国はこの品質を維持する量産システムの導入に失敗したが、これは巷で言われるような国力のせいとゆうよりも、航空技術者等の人材リソースをエンジンや機体の多品種開発生産体制に従事させていたため、品質と量産性を両立するためのシステム開発に対する、技術者リソースが欠乏状態になったということのほうがより大きな問題なのだと考えられる。

エンジンの性能(使用条件の厳しさ)をあらわす重要な指標として、シリンダーのリッター当たりの馬力がある。「誉20型」は五五・八である(「誉11型」は五〇・三馬力、「誉21型」は五五・八馬力)。(※中略)リッター当たり五〇馬力を超えるエンジンが登場してくるのは、戦後の一九四〇年代後半にはいってことであり、その間に、空冷星形の冷却や過給機、燃料などに関する新たなる技術が開発されて、もう一段飛躍したあとの段階においてであった。(PP.250~251)

ところが、中島飛行機の設計部では、「大東亜決戦機」のほか何機種もの新鋭機に搭載されて、陸海軍の航空戦力にきわめて大きな影響をおよぼす重要プロジェクトの「誉」に重大なトラブルが発生したときも、その解決のために、他の開発プロジェクトが中断されるようなことはなかった。当時、並行プロジェクトは「NBH」、「NAM」、「ハ39」、「ネ230」(ジェットエンジン)があったが、それらを中断して、技術者を集めたりする組織的な動きをとらなかったことは、岡本が『エンジン設計のキーポイント探求』で指摘している。また、海軍がその必要性を求めることもなかった。(P.266)
→戦時中は、空技廠が航空機開発の旗振り役だったはずだが、完全に平時体制のまま投入リソースだけを増大させることにしか頭を使っていないのではないかと疑える点である。これで国力だ物量だ我国の工業生産力が(米国と比較して)低かったと言訳している戦史には疑念を抱かずにはいられない。我国は残念ながらソフトウェアの中核たる人材の頭脳動員において失敗してしまったのだと考えざるをえない点である。

エンジンの発動機としての特徴は高温の燃焼ガスを直接作動流体として使用することに由来することは誰でも知っている。しかし、そのためピストンとシリンダーはガス圧と熱の非常に複雑な作用を受けることをよく理解している技術者は少ない。理論的には解明し尽くされないので試行錯誤により発達した部分なのである。(P.280)

すでに指摘したが、やはり数社の外国エンジンメーカーから技術を導入した三菱さえ、シリンダー内径は二種類にとどめている。ところが驚くなかれ、中島飛行機にあってはシリンダーの内径が一〇種類もあるのだ。(P.292)
→確かに中島は「技術優先企業」かもしれないが、その技術の内実とはあくまで新規設計開発エンジニア優先なのだと理解することができる。

これ以上くどくどととりあげるよりも、実際に本書を読んでいただければ対米戦争における帝国海軍の決戦思想が産み出した『誉』発動機と、当時の列強の発動機の系譜を踏まえた比較を交えた技術史を理解するうえで裨益すること大きいと考えますので是非ご一読を薦めたい著作です。

テーマ: 本の紹介

ジャンル: 本・雑誌

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読書録其の18(政軍関係について其の二) 

書名:軍人と国家 下巻
著者:サミュエル・ハンチントン
訳者:市川良一
出版社:原書房
価格:(金2400円+消費税)
刊行年:平成20(西暦2008)年 第1刷

三週間ほど前に紹介したハンチントンの『軍人と国家』下巻を今回は紹介いたします。

○前回については以下
http://cosandou.blog100.fc2.com/blog-entry-22.html

※():私注となります。

・彼(※マハン)の理論は戦争の哲学ではなくて歴史の哲学であった。かくしてそれは、政治的、イデオロギー的、そして民族的な色彩さえ帯びていた。(※中略)マハンは戦略と政治を混合しようとする傾向をもっていた点で、正統的な軍人の考え方から偏倚していた。彼は海軍将校に向って海軍軍人であると同時に政治家であることを目指すよう忠告し、政治的知識と政治的行動が望ましいことを強調した。(PP.7~8)

→学生時代にマハンの『海上権力史論』を読んだときの違和感はこれだったのだと漸く理解できた。あの書を読んだときに自分には『海軍権力史論』という政治イデオロギーの書に感じたのは故無きことではなかったのだな。

・そして多くの思慮ある軍人が依然として、どの若い将校が戦時における立派な高級指揮官になるか平時において予想することは不可能であり、陸軍は「比較的少数の頭の切れる個人」よりも将校団全体の全般的な能力に依存しなければならないこと、そして抜てきというものが常に政治的な干渉の危険に晒されているということを感じていた。陸軍内部において意見がわかれたため、第二次大戦に至るまで先任順による昇進制度が維持されることになった。(P.29)

→戦時にならなければ、本当に有能な将校は分からないと言うことは真であるが、平時の先任順を戦時にもっていくまま放置した場合には危険に晒されるのもまた事実である。

・(※第二次大戦時)戦争指導上の、アメリカとイギリスとの制度上の真の差異は、アメリカの軍首脳部の大きく拡大された活動分野が彼らに幅広い政治的観点を採用することを余儀なくさせたのに対して、イギリス軍部の活動範囲は制限されていたため、軍部は軍事専門的な見地に固執することが可能であったということである。(P.59)

→第二次対戦中の我国の苦い経験から考えると、英国の「代議制内閣+軍事専門家」が如何にして機能したかは研究に値するものだと思う。

・アイク型とマック型との差は二種類の政治家の差をあらわしている。すなわち、一方は自分が部下より優っているために他の者を指揮するのだというカリスマ的で霊感を与えるような、剛毅な政治指導者のタイプであり、他方は彼がその部下の代表者であるという理由で他者を指揮しているという、弾力性のある、世俗的で、うぬぼれのない政治指導者のタイプである。(P.97)

・軍事費の議会による削減は一般に広範にわたる不特定の、かつ少額のものであるのに対し、議会による増額欲求は、通常特定の集中されたかつ大幅のものである。前者の場合には議会は節約と効率という全般的な利益のため行動しているわけであるが、後者の場合には、ある特定の軍事計画あるいは特定の軍の特定の利益のために行動しているのである。(P.149)

・(※軍組織に対するシビリアンコントロールに効果があるのは予算という論に対し)効果的で責任あるシビリアン・コントロールは、予算の統制ではなくて、政策の統制でなければならない。(P.163)

・(※1950頃のこと)彼(※国防長官)はスタッフを持ち過ぎていた。勿論、これに対する答は、重要な問題は長官がどれだけのスタッフを持つかではなくて、どのような種類のスタッフを持つかであり、またそのスタッフが実際どの程度まで自分で自由に使えるものであるかである、というのであった。スタッフというものは、その考え方がその長の考え方であり、またその利害がその長の利害と一致する時に、執行部に対する唯一の現実的な補佐となるのである。(P.175)

→我国でも残念ながら庁から省となったものの、上記のようなシビリアンコントロールを実現するための防衛大臣のスタッフがおらず、ひたすら軍規模を縮小することでパワーを管理しようとする文官統制(シビリアン・コントロールとは似て非なる代物)がまかり通っている現状である。

朝鮮戦争頃までの米国の政軍関係がどのように変化していったかを概観できるとともに、我国においての文官統制をシビリアンコントロールと誤認することの問題点を掴める点で、興味深い議論が展開されている書ですので、政軍関係に興味をもたれる人がありましたら一読をお勧めしたい書であります。

テーマ: 読んだ本の紹介

ジャンル: 本・雑誌

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読書録其の13(政軍関係について其の一) 

書名:軍人と国家 上巻
著者:サミュエル・ハンチントン
訳者:市川良一
出版社:原書房
価格:(金2400円+消費税)
刊行年:平成20(西暦2008)年 第1刷

我国では良く「シビリアン・コントロール」とよく呼号するのですが、そもそも近代における軍人とは何なのかということや、職業軍人と政府の関係についての基礎議論が等閑視されやすい現状を見ると、半世紀近く経過したといえどもこの著作の価値は大きいのではないのかと考えています。

※():私注となります。

・将校は専門領域において顧客の必要とするものを説明し、どうすればこれらの必要を満たしうるかについて顧客に助言を与え、顧客が自分の決定を行ったときには、その決定を実施する上で顧客を援助しうるだけである。(P.17)

・貴族的なアマチュアの軍隊は、その下士官・兵が長期服務の正規の軍人である限りにおいて頼りにすることができた。後者がアマチュアの軍人になったとき、軍隊の規模は大きくなり、いっそう多くの有能で経験に富んだリーダーシップが必要とされた。軍隊機構の強固な中核を供給すること、軍事技術の進歩改良に責任をもつこと、そして持続的な流れをもった兵士を下士官によって訓練することが、将校の機能となった。(P.39)
→近代国家としては、下士官はともかく兵はどうしても長期服務というのは現実味がないので、将校の重要な任務として軍事技術並びに教育内容の進歩・更新が欠かせなくなるということか。

・(※著者がクラウゼビッツを引用しながら)しかしながら、その軍事組織が用いられる目的のよしあしを判定することは、その軍事組織の能力の範囲外のことである。つまり「戦争の政治目的は、全く戦争の領域以外のところにある……」戦争は、それ自身の論理と目的を持たない。軍人は、常に政治家に従属するものでなければならない。戦争の指導というものは、政治家の責任である。何となれば、戦争は、「そのより高度な関係において鋭い洞察を国家政策に対して行うことを要求する」からである。(P.57)
→私としては、政治と軍事と外交の関係は「二頭立ての馬車」にたとえると解りやすいように考える。軍事と外交は馬であり、御者と車が政治というものではないか、こうした図式ならば政治の責任は最も重いのも、また軍事が政治に従属しなければならないかをよく伝えるのだと思う。

・安全保障に対する脅威を評価する場合、軍人は、他の国民の意図よりもむしろ、それらの能力に注目する。意図というものは、本質上政治的なものであり、元来気まぐれで変わりやすく、それを評価し、予想することは実際上不可能である。(P.66)
→毎度のことながら我国の防衛論議でいつもここが、左右問わずネックとなる箇所でもある。「仮想敵国」設定を行うのが「友好関係の破壊」という暗黙の前提になっているので、「北朝鮮の脅威論」や「吉田ドクトリン万歳」という議論になってしまう。

・ヒトラーに対する抵抗に参加したドイツ軍の将校もマッカーサー将軍も、戦争と平和の問題を決定することが軍人の機能ではないということを忘れたのであった。(P.77)

・文民グループは、政治的に中立な将校団を全然容認したがらない。彼等は、将校団が彼等自身の利益と原理に服従することを強要しつづける。その結果、高水準の客体的なシビリアン・コントロールは、近代的な西欧社会においてさえも、まれな現象だったのである。(PP.85~86)
→我国では、戦前において戦間期において出てきた「皇軍」思想と、戦後からの「平和憲法」思想が同程度に政治価値中立のシビリアン・コントロールに確立を阻害しているのが偽らざる現状である。

・同じことは、軍に非同情的な社会におかれた軍人についても当てはまる。将軍や提督は、権力を獲得できるかもしれないが、職業軍人倫理は、そうはいかない。政治権力のもつ抑制効果(taming effect)が、彼等を良き自由主義者にし、良きファシストにし、良き共産主義とするが、専門職業人としては無能になる。専門的職業遂行上の満足とその専門的職業上の規則を固守することが、権力、地位、財産、名声上の満足と非軍人的グループの称賛によって置きかえられるのである。(P.95)

・自由主義は安全保障については、国家利益の倫理的妥当性を非とするから、戦争は自由主義の目指すものと両立しないものとして非難されるか、それらの目指すものに支えられて、ひとつのイデオロギー上の運動として正当化されなければならないかのどちらかである。(P.148)
→アメリカの安全保障論議に時折、間歇的に倫理的な「悪」という言葉が出てくる下地がこれか

・平和主義者は、職業軍人を自己の昇進や権力の拡大を図るために紛争をひき起こす戦争屋だと考える。十字軍の戦士は職業軍人を戦争がそのために戦われる理想に無関心な、またその理想によって覚醒されることのない、戦争遂行上の不吉な障害物であると考える。平和主義者は、軍人が自分達の平和に害毒を及ぼしているものと考える。また十字軍の戦士は、軍人が自分達の聖戦を汚すものと考える。(P.150)

・第一次大戦前の二十年間は、戦争が条約や制度的装置によって抑止されるという信念が最も優勢となった時期であった。軍人は平和の殿堂が平和をもたらすものではないこと、そして条約はそれらが権力政治という基本的な現実を反映するものである限りにおいて、信頼するに足るものであることを再三再四警告した。(P.257)
→そして残念ながら、我国においては第二次大戦後に欧州各国の戦間期の「信念」が支配風潮のまま六十星霜もの月日が流れてしまっている。

テーマ: こんな本を読んだ

ジャンル: 本・雑誌

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呟き(クラウゼヴィッツ偶感その参) 

前回に引き続きまして、クラウゼヴィッツの何処から政治に対する「軍事の対等」または「軍事の独立性」が導かれる部分というのは一体何を指しているかについて述べてゆきたいと思います。

先ずクラウゼヴィッツは戦争というものをどのようなものと定義していたかといいますと、「自己の意思を相手に強制するための暴力行為」であり「意志を強制するには相手の抵抗力を奪うのが確実」で、そうであるならば概念上戦争目標たるこの行為(相手抵抗力の撃破)に軍事行動は属するものと述べており、またその目標に軍事行為は奉仕する関係上他の部分(政治も含む)は従属価値しか理論上持ち得ないとも主張されております。

それでは、上記の戦争(クラウゼヴィッツは絶対戦争と呼称)はどのような条件で成り立つかについて、以下の3つの例を挙げています。
一、戦争がまったく孤立した行為である場合、すなわちそれがまったく忽然としておこり、それ以前の国家生活と連関がない場合
二、戦争が唯一回の決戦、もしくは同時に行われる数個の決戦の一系列によって成立する場合
三、戦争の終局がそれ自身で完結したものである場合、つまり、戦後の政治情勢の打算によって影響されるようなことのない場合

しかしこの理論上の戦争は、クラウゼヴィッツ自身はこの直後に上記の条件が、現実世界においては成り立ち得ないことを述べています。この点を考えればクラウゼヴィッツと、第一次大戦の引き金となってしまった「シュリーフェン計画」に象徴される軍事に優先順位を譲り渡した戦争計画を策案したドイツ参謀本部とは一種の断絶があるという見方をすることも可能だとも言えます。

それでは、クラウゼヴィッツから軍事優位の着想の種などは出てこないのではないかという考えも出るのですが、ここはクラウゼヴィッツの戦術論を読むと「戦術の変化による影響を戦略は受ける」という記述が出てきます。ここからもし仮に、上記の条件の何れかを満たす条件が整った場合には、クラウゼヴィッツの定義した「絶対戦争」という形式がイデオロギーとして活性化し、強力な理論上の根拠を提供する代物なのでもあります。

そして19世紀も中盤になると「鉄道システム」とモルトケという組み合わせによる成果が、政治の背景化が徐々に進行させてゆくこととなるのですが、この点はまた次回に述べてみたいと思います。

テーマ: 徒然なるままに…

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