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読書録其の11(ある新品士官による解剖記其の一) 

書名:私の中の日本軍 上巻
著者:山本七平
出版社:文芸春秋(文春文庫)
価格:(金514円+消費税)
刊行年:平成17(西暦2005)年 第10刷

著者はもう既に故人でもあるのですが、いつも読むたびに内容の古びない事に対して、私が心中恐れを抱かせる人物だと考えさせられる人であります。今回は当時の日本軍の常識を淡々として描くというある意味空恐ろしい記録の一端を紹介してゆきます。

※():私注となります。

・「捕虜を大切にする」という言葉には、普通の人が考えるような「人道的」な意味はあまりない。捕虜とは非常に重要な情報源なのである。戦場では敵情を正確に知ることが何より大切だから、捕虜は「非常に大切なもの」であるにすぎない。捕虜の首を切って、せっかく入手した情報源を自分の手でつぶすような愚行は、日本軍でも、戦後の"通説"のようには行われていない。(P.18)

・従って捕虜になったら、巧みに相手に誤れる情報を与え、同時に相手から巧みにその実情をさぐりだし、隙を見て逃亡するというのが、外国における「捕虜心得」の第一条らしいが、この心得は日本軍にはなかったし、赤軍派にもないらしい。(PP.18~19)

・そしてこの起床に始まり就寝で終る一日のすべてが、命令と規則のみで行われ、常に監視されつづけていた。規則もつまるところ「軍隊内務令」その他に基づく命令であるから、一切は命令であり、「私的」といいうることは皆無である。(中略)すべて命令であるから、「私的」即「不法」であるといってよい。従って「私的制裁」すなわち「勝手に兵が兵を制裁すること」は「軍紀紊乱」であり、厳しく禁じられていたのは当然である。(PP.22~23)
→日本軍の「私」という言葉の遣い方が、漢籍の意味と同じだったと漸く合点できた。

・(※軍隊内のリンチについての反応)第二に、管理者がこれをどうすることもできなかったこと。第三に、発覚しそうになれば管理者がこれを隠してしまい、そういうことへの捜査や摘発に絶対に協力しなかっただけではなく、実際は妨害したこと。第四に、管理者の中には内心リンチは必要悪だとする者がおり、妙な理屈、たとえば「リンチはよくないが、リンチをされる側にも、そういうことを誘発する良からぬ点があるのだからリンチそのものを問題にするのは誤りで、この点を除去すればリンチは自然になくなる」といった言い方で、問題の焦点をわざとはぐらかしてしまう者が必ずいたこと。第五に、「戦争だから」(「革命だから」も同じだろうが)これくらいのことは「しゃーないやないすか」と肯定するものがいたことであろう。このうち第四の「される方にも・・・・・・良からぬ点がある」というのは、される方に非違行為があったから仕方ないという意味ではない。いわゆる市民的常識や市民的感情のことを、軍隊では「地方気分」といい、「テメエら、まだ地方気分が抜けトランゾ」ということが私的制裁の大きな理由の一つで、この「地方気分」が抜けきっていないことにリンチされる原因があることも事実なのだから、リンチだけを取り上げてこれを禁止しても問題解決にはならない、といった意味である。(PP.34~35)
→今でも我国の集団組織では必ず起る問題点に繋がる描写で、集団暴行や傷害という事態を「イジメ」なる言葉にしてしまう点、「問題発生」という事態そのものを管理者責任にしてしまうための、事件そのものを悪化させてしまう隠蔽行動に走る点、無自覚な因果律による被害者側のあら捜しを開始してしまう周囲というのが余りにも変わっていないことを嫌でも自覚させられる。

・第一、軍隊の底辺にいた人々は、初年兵の前に立って、一応論理的な筋道の通っている説教をし、総括を命じ、かつ制裁を加えるなどという能力はなかったのである。(P.41)
→こうした「当たり前」のことを自分は自覚していないのではないかといつも考えさせられる。

・日本という学歴社会およびそこから生み出されたインテリは、口では何といおうと、実際には労働者や農民を蔑視している。彼らが口にし尊重する「労働者・農民」は、一種の集合名詞乃至は抽象名詞にすぎない。これは昔もおなじで、当時の新聞や御用評論家がいかに「軍」や「軍人」をもちあげようと、それは「軍」「軍人」という一種の集合名詞・抽象名詞を拝跪しているのであって、この軍という膨大な組織の最末端に現実に存在する最下級の「職業軍人」すなわち下士官は、現実には、徹底的に無視され嫌悪され差別され軽蔑されていた。(PP.62~63)

・簡単にいえば、まず日本軍に和姦という概念が存在しない。住民と「情を通じて」問題になれば、すべて強姦事件であって、軍の慰安所以外の性行為はすべて違法である(P.88)

・実際、このイロケぐらい、兵士にも下級幹部にも耐えられないものはなかった。「一生懸命やっております」「大いに成績をあげております」というジェスチャーのため、全く無駄な重労働を部下に強いる。兵士は、そんなことはすぐに見抜いてしまうから、余計に耐えられない。(P.113)

・従ってそういった行為はことごとく「作戦の一環トシテノ宣撫工作」として行われているのであって、人道的見地から行われるのではない。従ってこういう点を取りあげて「日本軍の人道的美談」を創作する人がいたら、それは、「百人斬り」を事実だと主張すると同様の嘘である。(P.128)

・ただ笑っている捕虜たちの写真はあまり信用しなかった。人間は、銃剣をつきつけて「笑えッ」といわれれば笑うものだということぐらいは知っていたからである。私は今でも、ある種の国の、民衆や子供の笑い顔を載せた宣伝写真を信用しない。笑い顔を宣伝に使うこと自体が、実に暗いことだからである。この捕虜たちだって、「笑え」と命ぜられているかも知れないし、笑わされた後で全員射殺されているかも知れない。そんなことはだれにもわからない。(P.155)

・恥ずべきことがあるとすれば、敵弾のまっただ中にいたような顔をしながら、観測も測角もせず、デタラメの諸元を報告することだろう。そんなことをしたら、指揮官は判断を誤り、砲弾は友軍の頭上に落ち、味方を殺す。新聞記者も同じだろう。報道とは国民への報告だとう。いい加減な報道をすれば、国民は戦争にも戦場の実体にも判断を誤る。(中略)従って真に恥ずべきことがあるとしたら、それは、銃弾の飛来する砲側にいたような嘘八百を並べることである。一体なぜそういうことになるのか。これがすなわち、当時いたると所に蟠踞していた人間の一つの見本であって、何かを報道するのでなく、自分を誇示し、前線で「軍人以上に軍人らしく振舞っていた」ように自分を見せようという欲求しかない人間の姿なのである。(PP.180~181)
→戦後は「平和」という名のもとに同じ行動をする御仁が蟠踞するという相変わらずさを嫌でも痛感させられる。

・(2・26事件の片倉少佐と磯部大尉の交渉を指す)この交渉の顛末を解説した本の多くは、少しピントがはずれているように私には思われる。彼らは、私的盟約に基づいて兵を動かした、しかし、そう言われたらそれですべてがおしまいなのである。そこで、その一言を口にした者は全部を言わせず射殺しようとする。(P.217)
→「8・15事件」の際に関係者が何を一番恐れたのかの理解する重要な補助線となるように思う。

これ以上はただただ長くなるのでこの辺りとしますが、内容は裨益することが多い著作だと思いますので、もし興味を抱かれた人がおりましたら是非一読されることをお勧めします。

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読書録其の7(戦場の一端を覗く) 

書名:戦場の哲学者
著者:J・グリン・グレイ 谷さつき訳
出版社:PHP研究所
価格:(金1700円 + 消費税)
刊行年:平成21(西暦2009)年

この著作は、第二次大戦において欧州戦線に米軍兵士として参加した体験を元にしたいくつかの考察で成り立っております。戦争というよりは戦場(battleという副題示す通り)においての興味深い点を垣間見ることができます。

それでは、いつものように引用にて紹介を致します。
※():私注となります。

・(※著者がドイツ兵を尋問している任務中)奴らときたら一人残らず、イタリアのファシストに匹敵するほど不愉快だ。どいつもこいつもまったくもって臆病で、無理やりやらされたんです、とくるもんだから、一九二八年に入党するためにやった行為にまでそんな言い訳をすることだろう。上の者から下の者まで、中には大物も数人いたが、言うことは皆同じ。(P.34)

・(※戦争の経験を忘れたままにすること)これこそ本物の誘惑で、我々は多くの人によって、その誘惑に身を任せるようにと促されるのである。広く信じられていることに、戦争を直に知っている人はほとんどあるいは全く戦争について語らないというものがある。よく語る人がいれば、自分のちっぽけな自惚れを誇張して言いたがっているのではないか、プロの外人部隊兵ではないか、などと疑われる。(P.51)
→これは一応暗黙の前提として知っているのが望まれる

・ロシアの戦争捕虜収容所で第二次世界大戦後の一〇年間を生き延びたドイツ軍兵士が説得力のある説明をしているが、それは共産主義体制が捕虜たちの間にあるいかなる仲間意識をも破壊することに成功したという話である。これは個人の労働の成果を基礎にして食料割り当てを行うという単純なやり方であった。このような制度の下では、男たちは思う存分食べるばかりか、食料が余分にあることをも楽しみ、ゆっくりと餓死しつつあるかもしれない仲間のことなど全く気にかけないのである。(P.71)

・人間が破壊的行為を行っているときというのは、ほかのどの動物とも異なる次元にいるのである。そして破壊的衝動は単純な人間だけにではなく、高度に洗練された特質の持ち主にも見られるのであって、後者のほうにより多く見られるとまでは言わないものの、前者と同等程度には後者にも見られるのである。(P.87)
→これもあまり知られていない戦場の暗黙知として覚えておくことが望まれる

・(※一九四四年)フランスのレジスタンスが、占領期間にドイツ兵を恋人としていた女性たちの公開剃髪を要求していた。このおぞましい儀式は通常、公共の広場にある少し高くなっている場所で行われ、数え切れないほどの群衆が、ときには嘲りながら、集まっていた。かなりの数の女性は明らかに娼婦であり、見世物としての理由のみで髪を刈られ、部外者には見るに堪えないが、こうした女性たちによって地下組織の活動家として密告されるかもしれないという脅威の下で生活し苦しんできたフランス人たちには満足のいくものであった。(P.112)

・この肉体的疲労は、我々の大半が人生のほかの時期に経験する疲労の限界を超えることになる。肉体疲労だけでも感覚がひどく鈍るために、兵士の動作は夢遊病者のようになる。ある程度の期間こうした極度の疲労が継続すると、男たちは従事してきたことからの休息や変化として、死を喜んで受け入れようとする気になりかねない。(P.145)
→我国のバンザイ突撃時の心理状態はこれではなかろうか

・言うまでもないが、実際のところ臆病者は、勇敢な兵士よりも肉体的な死を迎える可能性が高い。じっとしていられないからである。自分がいまいる場所よりもほかのところのほうが安全に違いないという幻想絶えず悩まされる。(P.156)

戦場は戦場に居たものしかわかりえないというのは、ほぼ真として受け取るしかない言葉ではあるが、その僅かな一端だけでも垣間見ることが出来ることもあるということを考えさせられる本だと思います。

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読書録其の5(急降下爆撃といえば…) 

書名:急降下爆撃
著者:ハンス・U・ルデル 高木真太郎訳
出版社:朝日ソノラマ
価格:(金460円)
刊行年:平成7(西暦1995)年

第二次大戦においてドイツの急降下爆撃搭乗員としてその名を知られた、ルデル(ルーデル)の回顧録という位置づけの本です。戦歴についてはあまりにも有名なため割愛しますが、一読して興味深く思ったのは、著者の経歴で、最初「戦闘機搭乗を志望」→「転科して急降下爆撃」→「再度転科して偵察員」→「再度転科して急降下爆撃」というように第一次大戦から発生した飛行機の進化方向(偵察→爆撃→戦闘)を遡上する形で追体験をする珍しいところにあります。

さていつも通り、興味を引かれた部分を引用紹介いたします。
・翌日、ラタ一機が上空からわが編隊に突っ込んで来た。バウエルに突き当たった。ラタは火を噴いて墜落し、バウエルキ機はひどく傷つきながらも帰隊することができた。と、その夕方、モスクワ放送は、「果敢なる突っ込み戦法によって、スツーカ一機を撃墜す」とわめき、ソ連操縦将校をたたえる賛美歌を歌っていた。(p.24)

・空中戦になれば、とかく高度は低くなりがちで、これは山腹からの高射砲弾のよき獲物となることを意味する。山頂からどうしても三〇〇〇フィート以上の高さを飛ばねばならぬ。(p.58)

・ソ連戦車については、各種の模型がつくられていて、それにより、どの型のどこを攻撃したら一ばん効果的であるかを、私たちは熟知している。戦車攻撃は、やたらと弾をぶつけるだけでは目的を達しない。特定の場所、例えば油槽とか弾薬質とかを攻撃することが必要なのである。(p.86)

・三七ミリカノンを持ったスンカース87では突っ込みはもはや不可能である。(p.87)

・ボルシャヤ、コストラムカは典型的なロシア部落で、あらゆる"有利な"、"不利な"という、これら形容詞を含んでいるのだった。散在する家々は大部分が泥でつくられてあり、石の家は数軒しかない。<中略>わが地上勤務員は、あらゆる偶発事件に対して"機動性"を保持しようとして、馬や牛曳きの荷車を用意しなければならなかった。飛行機乗務員は馬の背にゆられて飛行場まで運ばれる始末、しかも滑走路がまたよくない。小さな島々により砕けた泥海に似たもの、それが滑走路だった。もしユンカー巣87に、広幅のタイヤがついていなかったら、私たちは機上の人になることはできなかったろう(p.105)

・「四十台のタンクはいま前線へ行く途中です。残りは修理工場に入っていますが、行動開始の時までには、確実に間に合うはずです。ですから計算図表は正確なものです」<中略>敵の爆撃機がうろうろしている中で、四十台のタンクがいつ前線へ安着あそばされるっていうんだ。修理工場で必要な部品がすぐにととのうなんて、いったい誰が保証しているだ。馬鹿も休み休みぬかせ!<中略>私も心配になってきた。いったい何の目的でこのような誤解に導く虚偽の報告をするのだろうか。だらしなさが原因だろうか。故意にやっているのだろうか。いずれにしても、これは敵に利することになる。誰が、どんな連中が、こんな大罪を犯しているだ。(pp.162~163)

・乗員がまだ生きているような場合は、燃える戦車を操って新しい待避所求めて走っていこうとするが、そうしたときは、かえって攻撃しやすくなり、完全に破壊しさることができた。(p.220)

見所は何と云っても、当時の東部戦線においてドイツ飛行隊がどのような運用によって成り立っていたかを実体験を通して読めるところだという点です。そして南部ロシアの「泥濘」というのが如何なるものか、また冬季においてどうやって飛行機のエンジンを暖機していたかの工夫の一端を垣間みることが出来ます。我国とは大きく相違した飛行機の用兵の一部を明確に意識させてくれる本でもあります。

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読書録其の4(物量物量唱える前に…) 

書名:マッカーサーと戦った日本軍-ニューギニア戦の記録
著者:田中宏巳
出版社:新潮選書
価格:(金3800円+消費税)
刊行年:平成21(西暦2009)年

第二次大戦時において我国が一番「過酷な戦場」は何処かといえば、長期間の煉獄たる「ニューギニア」か短期間の地獄としての「フィリピン」の何れかが該当するのだと思っております。この基準は単純で「戦死者の数」と「連絡線が危ない状況下での作戦期間の長さ」の2つとなります。従って巷で有名なノモンハンやインパールなどは、上記と比較して一番とはなりえないと判断しております。

さて、興味深いところをいくつか引用いたします。
・日本軍はニューギニアから出撃してきたマッカーサーの軍団にまたたく間に踏み潰されてしまった。敗北の一因は、フィリピン戦の直前まで延々と続いたニューギニア戦において、飛行機も大砲も機関銃も使い果たしてしまったことにあるが、ニューギニア戦について無関心な日本人には、こうした関連を思いつかない。(p.21)

・ラバウルまで伸ばした兵站線が国力に見合うものか否か、海軍には考慮する態度が著しく欠けていた。陸軍にしても大差なかったというのが一般的見方だが、南太平洋における戦いでは海軍が主導権を持っていただけに、海軍にこうした科学的認識がなかったことが、部隊を派遣した陸軍を大いに苦しめることにつながった。(p.31)

・しかし陸海軍が対等で、両者の主張が食い違いどちらも引き下がらないとき、一方を採用し他を落とす権限をもったチェアマン不在の統帥権システムにおいては、両者の主張はそのままくっつけるか、実施に順番をつけるぐらいの解決法しかなかった。(p.54)

・調査研究の段階では、まだやるかやらないか答えが出ていないはずで、その時になって計画を履せばいいではないかと思いがちである。しかし日本の組織では、調査研究の着手は実質的に計画のゴーサインであり、何かあった場合に備えて事前にやるげきことはやったかたちを残し、責任を追及されても逃げられるようにしておくのが、組織に身を置く者の知恵であった。(p.66)

・ニューギニアでは急峻がすべりやすい粘土質の土で覆われ、しかも雨を含んで滑り台に近い。(中略)ニューギニアの山は南アルプス型である。(中略)ニューギニアでは、河川の増水で橋や道路が流されるのは日常的現象で、それでも現地人は流されても流されてもまた作り直す自然との闘いを繰り返してきた。(p.68)

・戦後になって生産力が敗北の一大原因であったとする声が起ったが、しかし陸海軍が低い生産力をさらに二分した救いがたい非効率を取り上げる議論がないのはなぜだろうか。(p.90)

・戦後の日本人は、いつでもどこでも米軍兵力が日本軍を圧倒し、これが敗因として割り切る傾向があるが、十八年の夏頃までは、彼我の兵力にそれほど大きな格差がなかった。(p.121)

・驚かされるのは、抽出された戦例は一刻も早く戦訓、教訓として各部隊に周知されていなければならないが、その制度である「戦訓報」の編纂と回覧がはじまったのは昭和十八年六月からで、「戦訓報」第一号が出たのが六月二十日であった。(p.121)

この後も非常に興味深い事実や示唆が多くある書でもあり、また何より貴重なのは我国の戦史研究において影響の大きな「公刊戦史」の縛りから、著者がオーストラリアとの共同研究を取組んだ結果として抜け出しているところです。戦後も六十数星霜の時が流れたいまだからこそ、第二次大戦において我国がもう一度敗れた理由を虚心坦懐に見つめる時期が来たのだと思わずにはいられない良著です。

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読書録その1 

このブログではじめてとりあげますのは、以下になります。
書名:戦争における「人殺し」の心理学
著者:デーヴ・グロスマン(安原和見訳)
出版社:ちくま学芸文庫

題名はなかなか刺激を含んでいますが、一読されるともっと刺激のある
内容だと理解できる著作でもあります。

・第二次大戦後に行われたマーシャルの研究において、接近戦まで経験
した中隊を調査した結果で、僅か15~20%程度しか発砲する兵士達が、
訓練法が改善されたベトナムでは90%以上に増加した事。
・戦闘に参加した兵士は、自己の受傷や死よりも自己のミスで仲間の誰か
が死傷することに不安と恐れを抱く事。
・練兵係軍曹(ドリル・インストラクター)は、戦場で自身に銃が突きつけ
られるという、明確なる憎悪を向けられた際に混乱しないための一種の
予防接種をおこなっているという事。
・戦時宣伝とは、相手を同じ「人間」と見做さないようにする事が何故に
頻繁に行われるかといえば、戦場での兵士が抽象化された「敵」に対して
引金を引くことをためらわせないため手法だという事。
・戦場で相手を殺す事は、やはり大部分の兵士にとっては重い精神負担
となる可能性が高いので、彼等を送り出した社会は彼等の行為を肯定し
受容する務めがあるという事。

上記以外にも、戦闘面から見た戦場についての興味深い考察が満ちて
います。私が中でも印象深かったのが、ベトナム戦争において米国が
戦地に多くの将兵を務めを果たす為に送り出しながら、その社会が一方
で帰還した兵士に対し、あろうことか空港で唾を吐きかけるという残酷
な行為をするところに慨嘆するとともに、我国が第二次大戦後の将兵に
対して同じような残酷な行為をしたのではないかと、考えさせられる
著作でもあります。

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