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或る偏屈漢の異見(顏の無い人間)  

 基準だの主義などと云ふ言葉を看板にして意見を吐く人を見かけるが、そんな基準やら主義やらよりも福田恆存が述べたごとく、今の人に大事なのは人格の分裂にもつと注意を拂ふ必要があると考へるのである。その場限りの辻褄合はせの論理を吐く人がゐるが、時系列でその人間の意見を見ると無殘な支離滅裂を晒す人が如何に多いかを、年を經るごとにこの目でみてしまふ機會が増えていくからである。智識人とかインテリとかは、中途半端に頭が良いから確かにその場だけは取繕ふことはする、尤もその遣口といへば、肝腎要の問題には一切答へないで言を左右にする發言を延々とするのが特徴なのだから文字通り話に成らないのである。

 ある御仁はいつもは如何に日本の官僚が出鱈目ばかりを行ひ、經濟には官僚が關はると惡しきことしか行はないと言つてゐた人物が、世が東京電力憎しの風潮に成ると送電一括國有會社をつくれば良いと突然言ひだして、普段の官僚經濟介入反對とどう整合するかと質問すると、何故かその國有會社は「惡しきことを行はない筈だ」と云ふ何の根據無くそのやうなことを聞かされる。

 また別の御仁は自由主義とか個人の意志が大事と普段述べてゐるが、死刑の遺言制度などを提唱すると、何故か死刑反對と死刑實施の遺言の意志表示になると、A(死刑實施)とB(死刑反對)を殺害したCに對する量刑にたいしてAとBの遺族の話合ひが始まるといふ、死刑反對の意志表示が死刑實施の意志表示よりも重くなる(BがAに口出し可能なのは論理上さうとしかならない)と述べて、自由や個人の意思よりも重い價値があるとしか思へないやうな言葉を聞かされる。

 かうした人間は一體全體何を考へて言葉を使つてゐるのであらふか、その場限りで何とでも出來るやうに思ひ込んで言葉を弄んで、本當に何も己に影響がないと思つてゐるのであらふか、そのやうな人間の末路は繪葉書に映された油繪のやうに陰翳の無い「のつぺらぼう」に成り果てる程に、殘酷な復讐を己の人格にされることに氣附いてゐない。そしてさうなつた時にはもうその人間の述べる主義や信念や主張やら意見などは、祭りの夜店に竝ぶやうな安つぽい流行物のお面程度の代物にしかならなくなる。その安つぽさに自他ともに眞面目に附き合ふことが不可能になつてしまふ。

 その状態に陷つた人間は何をしでかすかと言へば、おとなしくすることはせずに、必ずと云ふほど道連れを増やさうとする。自分だけがそのやうな状態にゐるのが耐へられないからである。そのため彼等は一見正義の士であり、憂國の士であり、また惡に立ち向かはんとする勇士であり、自己犠牲溢れる愛他の士といふ振舞をするが、その内容は過去から全體を眺めてみると支離滅裂で、對象を攻撃出來れば主義主張などおかまいなしの態度をとつてゐるのである。先づ己を大事にする人は、このやうな人間にだけは近附いてはいけないと私は考へるのである。己を粗略に扱ふ人間が、どうして赤の他人を粗略に扱はずにゐられやうか、その手の人物は己の欲望に爲には、他人を平然と犠牲にするのを躊躇はないのである。
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# |  | 2012/08/13 14:20 * edit *

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