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或る偏屈漢の異見(雄大は杜撰に非ず) 

 先日の事、ある會合で戰略論なるものを聞いてゐた時のことである。色々な話を聞きながら最後の方になり或る發表者が、維新から日露戰爭、大東亜戦争時、戰後の冷戰時代を「軍事重視と經濟重視」、「同盟重視と獨立重視」、「大國指向と小國指向」といふ要素を組み合はせてそれぞれの状況を説明してゐた。その人は結論として、今後の日本は軍事と經濟、同盟と獨立、そして大國指向と小國指向の中庸を目指す中道戰略なるものを目指すべきではないかと提唱してゐたのである。

 その話にはどうも聽いてゐる人が特段反對してゐないやうに思へた素振りだつたが、私にはどうにも不可思議なことがあつたので、その人に「話に中道とあるのですが、一體全體何を基準として中道とみるのでせうか」と質問した、相手はポカンとした表情なので、下手な譬喩で再度「その戰略の中間だといふ『北極星』や『メートル原器』は何處なのですか」と尋ねたのである。

 相手は困惑した表情で基準などは表現するのが難しいと囘答し、周圍もそれに同調し、あまつさえそのやうなものは無いと斷言したり、状況次第ではないかと附け加へたのである。時間も押し迫り議論する時間は無いため、その話はそれまでとなつてしまつたが、私はどうにも腑に落ちないままであつた。

 それは状況次第で基準が變はるやうなものを前提などしてゐるならば、そもそも『中道戰略』などど云ふ大層な名を附けるなど欺瞞でしかなく、それには「場當り的」や「御都合主義」といふ名稱が相応しいものでしかないのではと考へるからである。

 常々思ふのであるが、私はこの手の「国家百年の計」なる構想がかくも杜撰な言葉遣いで語られるのを怪しむのである。曰く言い難しとは言うけれども余りにその言葉を安易に遣ふやうになれば、それは怠惰以外の何物でもないものでしかなく、その怠慢は自己欺瞞と自堕落な思考により己を無残にするしかないと考えるばかりである。
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