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或る偏屈漢の異見(和は八百長に通ず) 

 近頃とみに思うのが、人間はつくづく見たいものしか見ず、聞きたいことしか聞かず、知りたいことしか知らず、分かりたいことしか分からないという至極単純な道理が腑に落ちるようになってきた。三十代にもなり今更かとも思うのだが、何分物分かり悪いのは己の性分なので仕方がない、そのようなものと割切るしかないと思うのみである。

 私なりに齢を重ね、また色々な先祖の話を知るにつれて、我国の人はつくづく人にある状況への馴合いを他人に押付ける手合いが多いのだと実感するようになった。昭和19年末のフィリピン戦時の大本営からの派遣参謀といい、今朝方テレビで見た大阪の古賀氏という人物といい、ある状況設定(かたや米軍との決戦、かたや関西圏挙げての節電と他地方への電力乞食)への八百長を居丈高に欲求し、それに従わない手合いを罵倒して反論を封ずるやり方などは瓜二つとしか思えないものである。それが、バーシー海峡での損耗から輸送網が壊滅していようが、発電量の5割を占める原子力発電所が停止していようと御構いなしの有様である。いや、むしろその時こそが、彼等の論理が猛威を振う土壌となる。

 何故なら日本人は「和を以て尊しとなす」と「自然への同調」を至極当然とみなしているため、ある設定状況が絶対化すると、その設定に同調しないものは、総て否定さるべき悪として処断されることとなる。それに同調しなければしないほど、いや出来なければ出来ないだけ、否定対象は日本では孤立化する仕組みとなるのだからである。彼等のように設定を強いる者達にとっては、自己の権力と影響力を増大させるのにこれほど効果ある方法など滅多にない。

 このどうしようもない状況は、一方では長続きしない、何故なら現実がその八百長を目に見える形で否定するからである。米軍が上陸してしまえば、輸送網が壊滅した日本軍が群島のフィリピンで米軍と決戦など不可能であり、また、関西も原発が無ければ嫌でも真夏の輪番停電を体験するしかない、そうした時には、あれほど堅固に見えた和もあっという間に瓦解してしまう。その後はいつもの繰返しで、先ず騙されたという手合いが大声を出し、その後は新しい状況を再設定し、それへの馴合いを始めるために、過去の自分の言動を反省し、自分自身は新しい考えに再生したと喚き散らすことになるという、先祖代々からの嫌な慣習が発揮されるのである。

 只今の日本のエネルギーについて、原発再稼働を論ずる「憂える少数派」にされてしまった人々に対して、私は老婆心ながら言いたいことがある。間違っても人々が自分自身の言論により変わったなどどは夢にも考えてはならない、事後になってそのような事を口走って近づく輩は後を絶たないだろうが、その手の連中は新しい状況設定に対する自己正当化のためのアリバイとしての価値を見出してるのみである。憂える少数派の言論は、現実において全くの無力だったことを肝に銘じなければいけない、何故なら人々は現実に屈服しただけで決して他人の言論など聞いていないのだからである。そういう手合いには「僕は馬鹿だから反省しない、悧巧な奴はたんと反省するがいいさ」という言葉でも投げつけて、憮然と構えておかないとあの古賀氏のような道化を演ずる破目に陥るしかないからである。

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