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読書録其の33(過去から教えられること) 

書名:日本人には何が欠けているのか
著者:山本七平
出版社:さくら舎
価格:(金1,400円)消費税別
刊行年:平成24(西暦2012)年4月5日 第一刷

 今回の読書紹介はこの書である。内容は昭和49年~51年に週刊文春に連載された記事の集まりであり、今からおよそ35年以上前の内容なのだが、内容が古びないのは流石というべきなのか、はたまた我国人が物忘れが激しいので、何度も同じことを繰返すだけかは、考えさせられるがとりあえず私なりに興味深いところを取上げてみようと思うのである。

・だが、怒りであれ笑いであれ、これは狂気であり、怒りという狂気そのものは診断の助けにもならねば、治療の手段にもならず、公憤・
公笑という狂気でそれに対処しようとすれば、一切が混乱から破滅へと進み、すべてが崩れ去ってゆくだろう。(中略)だがしかし、人間が本当に公けの問題に対処しかつ解決しようとするなら、いかに公憤という名の"公的狂気"を振りまいたところで、何一つ解決しないのも事実である。「狂」は単純な算術の問題を解くこともできない。(P.46)

 去年の大地震から1年経過して今だに、反原発やら脱原発やらの公憤を振りまいて見せる輩が、後を絶たない。私のような奇特にも父母および、その前の時代の生活に興味を抱いている者にとっては、このような御気楽な公憤などは、見ていて反吐が出るほどのものである。関西電力の管内に居れば、今夏は間違い無く電力不足からの大規模輪番停電(計画停電などは言葉遊びで、1日に一度以上不定期の数時間の間が持回りで停電となる)状態に陥るが、その不便さは1週間で嫌になる類のものである。

 私の住む埼玉県上尾市では、去年数日だけこの輪番停電があったが、電話も使えない(古式ゆかしい黒電話は可)、信号も動かない、携帯電話は、いつものように皆が混乱状態から一気に使用しだして、通信負荷が高くなりこれまた使用不可となる。心臓発作や脳梗塞や持病で自宅療養している人間の緊急連絡手段もあっという間に失われる。また信号が動かないので、緊急車両の到着も遅れがちになるのも避けられない。また病院も、エレベータは余程の急患しか使えないので、身重の妊婦ぐらいだと階段を使用するのも当たり前(総合病院だと10階以上昇り降りする)となる。また、近くの公団団地では電気がないため断水する、機械式の駐車場も動かないので自動車が動かせない等々、挙げればきりがないもので、こんな体験すれば、巷でいい気になって「昔に戻れば良い」と絶叫する輩などは、旧日本軍の末期の大本営参謀級の極楽トンボの作戦指導と瓜二つのものだとしか思えないものだと実感できるだろう。

 また次の下りを読むと、まるで只今のことを述べているような錯覚に陥るところがある。

・前に健全な赤字部門と言ったのはその意味で、原子力発電そのものはすでに赤字部門ではなく、それと比較すれば、石油力発電のほうがすでに赤字部門で、その赤字を電気代の値上げに転嫁している状態、すなわち国鉄化・食管化の道をたどりはじめていたのである。日本人は、こういう赤字を愛好した。(P.97)

・もし後発国の経済的離陸が始まり、しかも人類が新しいエネルギー源を開発しなければ、とうてい三十年はもたないであろうこと、ただし、人類がエネルギー源を転換し、石油を石油化学の原料としてのみ使い、さらに製品の再生技術と、タールサンド等の新原料を開発すれば、この三十年を三百年にものばし得るとであろうと考えていた。だがこの計画は石油を「燃料として」浪費していたら不可能になる。従って最初に起こる問題は、人類の資源を温存するため、燃料としての石油使用を国際的に規制するという措置であろうことも、すでに多くの専門家は予測し、対策を立てていた。そしてただ日本人だけが、このことに無関心であったにすぎない。(P.98)

・過去において最も石油を濫費したアメリカ人・ヨーロッパ人が、自己のエネルギー源を原子力に転換するとともに、燃料としての石油使用の国際的規制を提唱し、全人類の共感を得て、それに応じ得ない日本を一方的に断罪し、「燃料としての石油の輸出価格を、原料としての石油の輸出価格の十倍とする」といった動議を提出し、資源温存の大義名分のもとに全世界の支持を得、日本の犠牲において、みずからの利益と産油国の利益をともに確保するであろうことは、常識を失わないかぎり、その当時すでに予期さるべきことであった。(P.98)

・日本はみじめな状態になった。働けど働けど石油値上げが追いかけてきた。彼らは、産油国の宣撫班であるマスコミに欺かれて盲目となり、値上げ石油の供給を「うれしいだろう」とサウジアラビアのヤマニ石油相に言われて大喜びした特派員と同じで、いくら法外に値上げされても喜んでこれを受けいれ、誘導されるままにひたすら大商社や電気・ガス会社だけを攻撃した。だが実際は、その値上げ分は結局回りまわって産油国の手に入り、それがオイルダラーとして還流投資され、油値・金利・配当で二重三重で搾取されているのに気がつかなかった。この点当時の日本人は、徳川時代の日本農民よりはるかに無知であった。・・・・・・(PP.99~100)

 この予測が外れたと思っている御仁がいたとしたら、私は正直にいえば、如何に人は物忘れが激しいかを知るという証左でしかないと考えている。西暦1980年代後半からの地球環境保護キャンペーン、西暦1990年代後半の京都議定書、西暦2000年代の地球温暖化キャンペーンと温室効果ガスのなかでも極端に二酸化炭素(そもそも温室効果では水蒸気が大半を占めている)に狙撃ちにした「二酸化炭素税」というのは、上記の「燃料としての石油使用の国際的規制」の提唱という文脈と枠組から発せられたものであり、それだからこそ異様な政治力を振るい、かつまた現時点で、一番欧州勢が強気なのもフランスの原子力をあてにしているからなのである。

 別にこれを以て私は、欧州や米国の偽善やら陰謀などを論うつもりは毛頭無い、常識で考えればわかることを考えない、我国の迂闊な手合いの方が問題なのとしか思えないのである。私は一応昨年に脱原発を主張する人には、京都議定書について「外国語で外国の論理」で応ずる必要があることを呟いたが、巷の人は宣撫班たる新聞テレビ雑誌ラジオや、個人発のインターネットであろうとTPP論議に夢中になるばかりであった。しかし、西暦2012年は京都議定書の新規枠組みを決定する年であり、脱原発や反原発に夢中になって石油・天然ガスを燃料として大量消費を開始した、日本の糾弾会場になるのは火を見るよりも明らかなのである。

 そして、石油や天然ガスを売る国々に「日本人は原子力を使わなくて、安全になりうれしいだろう」といわれながら足元を見られて、次々と値上げされていっても一向文句も言えず、もう一方では大量の二酸化炭素を吐き出していることを、一方的に「日本は地球環境を軽視している」糾弾され、相手に詰め寄られれば二進三進も出来ず、徒に罰則規定としての「懲罰割増の二酸化炭素排出権」なるものを有難くも購入して、あっという間にこれまで稼いだ外貨など10年程度で蕩尽してしまうだろう。

 現実にこうなってしまえば「蕩尽の十年間」は、日本人は「諸悪の根源」たる電力・ガス会社や大企業などを叩いて憂さ晴らしをする、不毛な言論状況に自らの思考を呪縛させて破滅した時代として、後世の子孫に覚えられることになるであろう、それは丁度、第二次大戦の時に、日本が世界を相手にする戦争に参戦することを決定したように、そのことを今の吾々が当時の先祖の決定を訝しむようにである。
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