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或る偏屈漢の異見(目標喪失を嗤う) 

 先日の事だが、いつもの如くぼんやりしながらNHKのテレビ番組を見ていると、『新型鬱病』なる話をしていた。私自身は精神病理は全くしらない身なので、さっぱりわからずぼんやりと自他ともに苦労する人もいるのだなと思うとともに、ある西諺の「人は目に見える切傷には大いに同情するが、歯痛には見向きもしない」という言葉にあるとおり、これまでもそしてこれからも人は、他人からちっとも同情されない厄介なる心の病と付き合わざるを得ないのかなと、少し考えさせられるところがあった。

 ただ、その番組中の精神病理学者が全くいないという、大層不可思議な座談会という名の漫談中で、年齢が30代程度の社会学者と称する人間の台詞には、正直嗤うしかない代物であった。その学者氏によると昭和30年代から平成に入るまでの日本は、経済成長という明確な社会目標が有り、人々はそれに向けて一心不乱に向かっていたために幸福であり、いまのような目標喪失時代による鬱病のような不幸かつ厄介な問題はなかったなどと、粗雑な話を得意気に披露していたものだったからである。私はこの学者氏が正直頭が悪いのかとも思ったのである。この人は己の父母からまともに生活の話を訊いたことが無いと直感した、何故なら私の父母は昭和23年と27年だが、その生活は昭和54年の生まれの私には、別世界の話ばかりだったからである。

 先ず水汲みである、勿論私には常識になっていた蛇口を捻れば、などという便利な代物は無いので、父の場合は、長屋にある近くの井戸で手押しのポンプをえっちらおっちらと動かして水を汲んており、母は近くの湧水があるやや離れた水場まで歩いて、バケツで水を汲んでいたのである。炊事料理掃除洗濯風呂あらゆる生活には水は欠かせないが、総てそれは水汲みが伴うものであり、中でも風呂などは小学校時の清掃を思い出してもらうと良いが、あのバケツを20~30往復して水汲みする手間をかけなければならないものであった。

 また火についてもそうであり、ガスを捻ればなどどいう常識も、やはり父母の幼少時には存在していないので、炭を売りに来る炭屋さんから購入して、それを炊事暖房風呂の燃料としていたのであった。ただし、風呂は父のように地方都市の長屋では置場所から考えて論外であったし、田舎育ちの母は置場所はどうにかなっても値段と何より水汲みの手間から考えて、自宅で毎日風呂などどいう贅沢は夢だったというのも必ず聞かされたものであった。

 そんな自分の父母の昔話をやたらとせがんでは、虫下しの薬(人体に回虫がいた)やらの話も交えて聞いていた小さいころ私にとっては、今は随分便利になったという実感は湧くと同時に、とても父母の時代の生活に戻りたいとは露にも考えないものであった。だからといって私は昔が不幸だとも考えないのであり、私には今も昔もただ人は、その時の生活を懸命に生きているのだと実感しただけなのである。

 ところが、奇妙なことに数年前から「三丁目の夕日」やら「官僚たちの夏」のような映像作品から私に伝わるのは「水汲無し、火おこし無し、虫下し無し」の生活感覚皆無の不可思議な代物であり、その不可思議なる代物を私より一回り上までの年齢の人が、懐かしい時代に触れあったという珍妙なる意見を述べるのが、このごろとみに増えてきたのである。その人々にバブル時代が良かったなどど言えば、まことに彼等はあの時代の生活感覚を駆使して、如何にそんな甘たるい時代では無かったことを教えてくれる人すらそうなのである。

 あの社会学者氏の社会目標などは、つまるところは前述の映像作品と同様の生活感覚皆無の出来合の理想を述べているに過ぎず、そんな出来合の理想などと比較して人の幸不幸を論うことが、如何に愚劣なことだと分からないのかと思うのである。私のような単純極まる人間にわかるのは、人は自分の人生においては、目標も目的も共に己で探すしかないという、余りに簡単なる道理でしかない。他人は手段と方法論は提供してくれるが、それ以外を提供することは決してしない、それを提供するとか、はたまた出来るとか嘯く手合いなどは、私は全き他人を出汁と見做している輩としか思えないからである。

 私は今の人が昔の人より少しだけ病んでいるのだとすれば、与えてくれないものを、恰も頑なに与えてくれると思い込んでいる、あの社会学者氏のような人が増えているだけなのだと考えるばかりなのである。

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この記事に対するコメント

達見です。

二等兵です、まさに達見です。最近こういう「文化人」
多いですね。大学の先生もこんな程度ですかね。

ところで別宮先生の掲示板最近投稿がありません。
兵頭先生は何か荒らしの様な書き込みがあります。

呵々大笑様ってもしかすると、出入り禁止を喰った
あの方では・・論旨が似ていますからね。

では・・・

二等兵 #mQop/nM. | URL | 2012/05/07 09:41 * edit *

コメント有難うございます。

二等兵様

達見かと言われると、正直に申しまして戸惑うところですが、
我国ではどうも周期を持って、この手の「文化人」漫談が湧いて
くるのではと考えております。

この手の漫談は、その分野の専門家を排除した上で、余りに独断と余談と
偏見交じりの妄論と珍論を放言するので、どうも私のように単純極まりない人間には、
「寝言は寝ているときだけ言え」と癇癪玉を破裂させてしまいます。

枯山

林 枯山 #- | URL | 2012/05/08 00:25 * edit *

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