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読書録其の33(近くて遠い時代の話)  

書名:日本の童話名作選 昭和篇
編集者:講談社文芸文庫
出版社:講談社
刊行年:平成19(西暦2007)年6月1日 第四刷

 さて今回の読書紹介となるのは、この中の新美南吉『おじいさんのランプ』となる。或る日にこの本の内容を友人たる人から聞いて一読してみたいと考えて、本屋でこの本を購入したものだからである。前置きはこの程度にして紹介に入っていこう。

 時代は昭和10年代の半ば、愛知県は岩滑新田(やなべしんでん)で、東一君という少年が倉からランプを持ってきてから一顛末の後におじいさんの昔語りが始まるのである。

 時は50年程前に戻り日露戦争の頃に岩滑新田の村に巳之助という、親兄弟親類縁者無しのみなしごがおり、子守や雑用をしながら何とかその日暮らしをしていたのである。何とか村の厄介者にならずに生きる道はないかと悶々としていたところで、巳之助はある日に人力車の手伝いで潮湯治場であった大野の町に夕暮れ頃に入ったのである。村からでてはじめての町は巳之助にとって何より珍しいものであったが、何より人々が夕闇が近づくころに軒先にある花のような明るいランプに目を奪われたのである。

 まだ岩滑新田の村には夜は暗闇に包まれるのは当たり前で、行燈の明かりも僅かな家にあるだけで、明かりは薄暗いものでしかないものであった。それが竜宮城のように明るい大野の町をみて巳之助は無理を承知であるが、ランプ屋に自分がランプ屋になると約束して1つのランプを仕入れて村に帰っていったのである。あたりの闇と巳之助の心に明かりをともしたランプとともにである。

 当初は売込に苦労するが、試に村の雑貨屋で使って貰うと次第に好評になり、ランプ売りが軌道に乗り出したところで、巳之助は自分の宣伝文句たる「ランプの下なら新聞の字もはっきり見える」を試して見て、己が字が読めぬことを思い知り、これでは文明開化にはならぬと覚り、区長さんに頼んで毎晩読書きを覚えるようになる。商いも軌道に乗り、所帯も持ち、子供も出来て男盛りとなった巳之助は風鈴を売るような車を引いてランプの音色をさせながら、人びとに明かりを灯す仕事に打込んでいったのである。

 ところが、巳之助が或る日に大野の町にランプを仕入れにくると、道端に太い長い柱と黒い線で軒先とつながっている奇妙な景色を見る、また甘酒屋のランプが店の脇にポツンと置かれているのも見る。どうも電気とやらが入ってくるようだとのことだが、大して気にもかけずにしばらく店にいると、やがて夕闇が迫り件の電気の明かりが灯される。その瞬間に巳之助は思わず戸口を振返り再び太陽が昇ったのかと錯覚するほどの明かりを目の当たりにして、食い入るように電球を見つめながら己の敗北を覚るのである。

 ただ、まだ巳之助は大野に比べて岩滑新田は田舎だから電気は当分は来ないと高をくくっていた矢先に、村でも俄かに電気を引く話が持ち上がるのである。巳之助は猛然と電燈反対の意見を言う、己が信じても無い迷信すら使うようになる。かつて村にランプの明かりを灯そうとした巳之助の心に次第に暗闇が覆うようになる。そして、巳之助の奮闘むなしく村は電燈導入で意見が決まると、巳之助の心は増々暗闇に覆われ、幾日も家を出ずに布団を被りじっと誰か恨む対象を探出し、ついに小さい頃から世話になった議長役の区長の家に付火を行うことを決める。その情景を新美南吉は以下のように描いている。

・菜の花ばたの、あたたかい月夜であった。どこかの村で春祭の支度に打つ太鼓がほとほと聞こえて来た。巳之助は道を通ってゆかなかった。みぞの中を鼬のように身をかがめて走ったり、藪の中を捨犬のようにかきわけたりしていった。他人に見られたくないとき、人はこうするものだ。

 そして、巳之助は当初から目論んでいた通り(ただし、マッチだけは見つからず代わりの火打石を持って)藁屋根の牛小屋に付火を行うために火打石で火をつけようとするが、火がなかなかつかない、そして新見南吉は続けて描いていく。

・「ちぇッ」と巳之助は舌打ちしていった。「マッチを持ってくりゃよかった。こげな火打みてえな古くせいもなァ、いざというとき間にあわねえだなア。」そういってしまって巳之助は、ふと自分の言葉を聞きとがめた。「古くせえもなァ、いざというとき間にあわねえ、・・・・・・古くせえもなァ間にあわねえ・・・・・・」

 ここで巳之助の心に再び明かりが灯る、かつての自分が人々に明かりを灯そうとしていたことを、そしてランプがそれに応えることがもうできなくなったことを覚ったのである。巳之助は家に戻り売物のランプを総て車に載せて、村はずれの大きな池まで引いていき、その場所の木に明かりを灯したランプを吊り下げていった。様々なランプは鈴なりとなり真昼のような明かりを灯していった。そこに巳之助はしばらく見つめてから、決然として一番大きなランプに石を投げる、ランプを音を立てて砕ける。巳之助は三番目に大きいランプまでを割ったときに、なぜか涙がうかんで来てそれきり石をなげることはできなかったのであるが。

 そしてそれから巳之助はランプ屋を止め本屋になったとしておじいさんの昔話はおわる。東一君は巳之助の名前がおじいさんの名前であるのを知っているので、その後のランプの顛末を聞くが、おじいさんはわからないと告げるだけである。ただ、当時はまだランプの需要が無くなったわけでもないのだとおじいさんが言うと、東一君は「損をしてしまったね」や「馬鹿しちゃたね」と述べる、おじいさんはただ馬鹿をしたことを認めるが煙管を握りしめて以下のように述べる。

・「わしのやり方は少し馬鹿だったが、わしのしょうばいのやめ方は、自分でいうのもなんだが、なかなかりっぱだったと思うよ。わしの言いたいのはこうさ、日本がすすんで、自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。いつまでもきたなく古いしょうばいにかじりついていたり、自分のしょうばいがはやっていた昔の方がよかったといったり、世の中のすすんだことをうらんだり、そんな意気地のねえことは決してしないということだ。」

 見事というほかに言葉は無い。この作品は傑作であると思う、新美南吉の文章が最後のこの言葉を、私が何としても肖りたいと思わせるほどの力を持つものである。もし時間があれば是非に一読を勧めたい作品と思うくらいのものである。ただ、作品をどう読むかはその人次第というのは先刻承知であるし、それが物分かりの良い態度だという世間の掟も知らぬわけでもないが、それでもあえて言いたいことがある。それは決してこの作品を用いて下らない他者批判の出汁や、水戸黄門の印籠のようにつかうという下劣な根性だけは見せてくれるなということである。

 昭和10年代であれ、只今であれ一番下劣な手合いとくれば、こうした作品を己の下劣な他者批判の文章に引用して、その作品の良さを根っこからぶち壊しにすることだけが得意であり、あの『阿Q伝』ですらそれを安易に社会批判の出汁につかうのに躊躇いがない、我国の知識人士の寄生虫のような生態から考えれば、私の危惧は杞憂でもなんでもないと断言することすらはばからないのである。
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