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或る偏屈漢の異見(わからぬといえぬ狂気) 

 つい先日の事であるが、テレビを何気なくつけてみるとニュースで「南海地震」の発表がされておりその報道内容を見て不可思議な気持ちがしたのである。最初は今日は確か「嘘を公然と述べてよいといわれる外国の風習なるもの」に合わせた馬鹿騒ぎの一種だと考えていたくらいである。ところが、いつまでたっても何々という冗談でした、という言葉が無いのでどうやら事実らしいと思ったのである。

 しかし、その内容はどう考えても途方もないものでしかなかったのである。その内容は『証拠が乏しくても現状の地震学で考え得る最大級の「脅威」を提示』したものというものであった。これは言葉を換えればこれから話すことは根拠薄弱ですよと公言していることであり。どう考えても地震学という学問の自殺行為に他ならない。学問特に自然科学という分野は総てが仮説であり、その反証に耐えうる程度が強いに従い確実性が保証されている。従って、根拠薄弱なる仮説などは愚説以外の何ものでも無くそれを根拠に現実を丁々発止し出したら正直漫画の世界より酷い代物でしかないからである。

 それが、堂々と政府発表をするのだから私が不可思議に考えるのであるが、それも去年の馬鹿騒ぎの一つであった人々の御題目たる「想定外を許さない」という論と結びついた代物なのだと思うのである。だが、繰り返して言うが科学という代物は生憎ながら、仮説から成り立っているものであり、その仮説を成り立たせているのはある限られた前提なのである。ある前提から外の事など「想定外」が当然のことながら存在していることが予想されているのである。

 それを無視して何事も想定出来るというのは人間知性の信頼ではなく、極度の不信から来ているとしか考えられないところである。昔から人は不可知なことがあることを何かしら人間を超えた存在を認めることで了解していた。それを今の我々は迷信と片付けたり嘲笑っているものすらいるが、不可知を認めぬよりもよほど知性を信頼している態度であろう。今の人に必要なのは逆説めくが科学に対する敬虔なる態度であり、それが無ければまたぞろ今回と同様の馬鹿騒ぎを演じて、恬として恥じ入らない無様なことを繰り返すだけに終わることが避けられなくなるであろう。
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