09 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 11

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | comment: --

或る偏屈漢の異見(夢と鏡) 

 政治やそれにまつわる人々に大きな願望や期待を持つのは、どんなに美辞麗句を連ねようとどうにも馬鹿げたことのように感じるこのごろだが、どうにもそんな馬鹿なことをしてみたくなる気性故に、その思いつくままつらつらと書き連ねてみたいと考える。いつものことであるが、見識のある人やら意識の高い人などは時間の無駄以外の何物でもないので、以下の記述などは一切読む必要がないと考えるので、早々に御引取を願う次第である。

 昨今、橋下徹氏についてはわたくしのぼんやりした記憶では、かつて法律相談を銘打ったテレビ番組で出演していたのかなという程度であり、その番組がつまらないと思っていたため全くと言ってよいほど見ていないためその様子を知っているものではない。そのため橋下氏が大阪府知事になると選挙で見たのも無関心そのものの態度で聞き流していたものであった。

 それが昨年の大阪市長選挙での顛末を見て、ぼんやりとした私にも橋下氏に対して興味が湧いたのである。特に彼を取り上げる言論人達の左右保革のブレが大きい橋下批評の論じ方については面白く眺めたのである。左の言論人達は橋下氏を「独裁者」やら「組織決定の壟断者」だとしておどろおどろしく描く一方、右の言論人達は「ポピュリスト」やら「大衆迎合者」や「政治定見の無さ」などを詐欺師よろしく取り上げて、大騒ぎしているようであった。

 この取り上げ方の極端な混乱は何処にあるのか私なりに考えてみたところ、これは彼等が橋下氏の質が見えていないのだと直感したのである。むしろ選挙で彼に期待した人々の方が「エネルギーのある人」として見ている部分は間違いなく大きな質の一面である。ただしほんの少しだけつけ加える必要があるのは、それは顔に精巧なる反射性を備えた鏡という面を付けているということなのである。

 このため橋下氏を論じたつもりになった言論人たちは、結果としてその鏡に映った己の姿を丁々発止に論ずるという致命傷を犯しているのである。左の人々は「膨大なエネルギー」さえわが手にあれば「独裁者」やら「組織決定の壟断者」になるという己の願望を迂闊にも白状し、右の手合いは「膨大なるエネルギー」を手中に納めでもすれば、「無定見」で「大衆迎合」や「ポピュリスト」なることを行う詐欺師めいた自身の自堕落を白状しているのである。その自滅行為に及んだのは、言論人達が途方もない夢見る人という自覚がないということに尽きるのであろう。

 橋下氏はそんなふやけた夢など一切持ち合わせていないと私は見ている。彼はその出自から人間の重大なる一面である獣の面をしかと確実に体験から把握しており、また弁護士活動や、法律相談テレビ番組の放送により、人が義人の真似を好むという質を良く把握しており、また「膨大なるエネルギー」を行使したいと願望を持つ、知識言論人達の権力欲というものすら完全に把握しているのだと見ている。まさに橋下氏は政治天才というに相応しい資質と能力をもっていうる存在なのである。したがって自己願望の化物である夢を、自身の手を汚さずに叶えてくれる「エネルギー」を無いかと口をあけている物乞根性の手合いでは、全く歯牙にもかけられなくて当たり前なのであろう。

 彼等に対して橋下氏は、ただ反射性の鏡の面をつけるだけで十分であり、あとは勝手に彼らが丁々発止しているのを眺めているだけでよい、向こうが勝手に己の夢の誘惑に負けて、「裏取引」を持ちかけてくるのは火を見るよりも明らかなのである。そして後は彼らの夢を新しい「エネルギーそのもの」に変換して吸収すれば良いからである。そしてまた大きく膨らんだ「エネルギー」を目当てに他の手合いが寄ってくるのである。

 これが橋下氏の「エネルギー」の性質であり、これほどの手口を実行できるのは並大抵の政治勘ではどうにもならない手腕だとうかがえる、まさしく「畏るべし」人物なのである。しかしそこでふと考えるのであるが人々が鏡を付けた面としての橋下氏というのであるのなら、その面の下には何があるのかとお前は見ているのだということであろう。ここで私が「悪魔の顔」やら「怨霊の顔」やら鬼面驚かすものがあると考える御仁には、またぞろ夢をみているなと思うしかないが、そんな大層なものではなく、あの何とも言えないぺったりした埴輪面しかないのである。

 人の顔なのかどうかも分からぬぺったりとした造形であり、鬼面驚かすものなど何もなければ不気味とおもえる迫力も無い、何とも言えぬのっぺりとした表情のあれである。それが縷々述べたような天才の性質と同居しているというのが何とも興味深いのである。彼ははっきりと夢を表面上嘲笑いながらその夢に縛られている人々を眺めるだけであろう。そして橋下氏はおそらくその「エネルギー」を容易く権力に変換していくであろう。そしてこれからは益々彼は人に夢に見えるガラクタをぶら下げてそのエネルギーを吸収することに邁進するであろう。ここ二十年の改革騒動はそうした材料には事欠かないくらい大量に吐き出されたものだからである。

 しかしやがてこうした騒動も終わり、過去を顧みて「何故にあんな埴輪面に人々が熱心に権力をもたせた」などど詰問調でいう「歴史の教訓」人士が述べるのが目に浮かぶのがまことに鬱陶しい心持がするのである。
スポンサーサイト

テーマ: 思ったこと・感じたこと

ジャンル: 日記

[edit]

« 或る偏屈漢の異見(想起無しの黙祷とは)  |  或る偏屈漢の異見(続・大阪「狂」想曲)  »

この記事に対するコメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://cosandou.blog100.fc2.com/tb.php/79-241fb3c2
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カウンター

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。