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或る偏屈漢の異見(大阪「狂」想曲) 

 新年早々なのだが、昨年から少し考えていたことがありここにその考え方をつらつらと書いてみることにする。愚生の戯言になればまことに幸いであるが、どうも嫌な気が晴れないので実際に言葉にしてみようと考えている。ただし世の「政治リテラシーの高い人」やら「改革の人」にはとてもおすすめできない内容なので、読まないことをお勧めする次第である。

 さて、何を気にしているかと言うと、昨年11月の大阪市長選挙並びに大阪府知事選挙である。あの選挙においては、前府知事の橋下氏が現職の平松氏に大勝して幕を閉じたものである。その時にある店で何気に、一人飲んでいたところで店の主人と世間話の一環としてこの選挙の話をした。私が一番気になったのは何故「大阪都構想」を実現するために大阪市長に橋下氏がわざわざ出なければならないのかというものであった。

 何故ならいくら大阪府下の最大都市であるとは言え、大阪全体から見れば3割の人口と面積は1割を超えた部分であり、どちらも過半数には満たないのが現実である。ましてや「大阪都構想」ともなれば他の大阪府下の各市町村に対して「都構想」のプラスとマイナス双方を吟味した上で、その構想の説明と各市町村の負担の配分に対して実施をする地位に立つのは大阪府知事ではないかと考えていたからである。

 店の主人曰く「大阪市は既得権益が強くて二進も三進もいかない、にも拘らず既成政党ではその改革が全く期待できない、ゆえにこそ大阪では橋下氏のようなエネルギーのある人に期待している」ということを聞かされた。これを聴いて私は奇妙な既視感を覚えた、つい数年前の夏に「既得権益を打破」をすれば政治が良くなると期待したあの言説と同じものであった。確かにあの時も政権政党たる自民党が完全に手詰まり状態で二進も三進もいかない状況であり、民意が「何とか新しい風を」と民主党に期待したような空気であったということである。

 あの時も今も私は民主党は支持できないが、数年前のあの選挙結果は民意の表れだと素直に受け取っている。また大阪市や大阪府の現既成政党が全く現行の問題対処能力を失っていると住民が見ているのも選挙結果に表れていると素直に考えている。

 しかし、それだからといって只今の大阪改革の御旗をふるう人間に対して私が感じた違和感が消えるわけではない、いやむしろ今の橋下氏のやり方は旧軍の参謀がやった中でも、私自身が蛇蝎の如く嫌う「名目指揮官」と「私物命令参謀」の組み合わせにしか見えないからである。かつての旧軍では参謀には名目上指揮権はないのであるが、様々な場面で名目上の指揮官の名を使用して書類を作成しあらゆる「私物命令」を発動していたのである。有名なのはフィリピンの「ロハス殺害命令」はその代表例であり、大本営派遣参謀の辻中佐が本間軍司令官と和知参謀長の名前を公然と使用して「私物命令」を出していた。これは一番性質の悪い「私物命令」で発案者の責任には絶対ならないようになっている仕組みになっているものである。いやそれどころか、和知参謀長が仮に戦犯指定を受けてしまえば、如何に全く知らないものだと抗弁しても、「言い逃れをするな」や「責任転嫁する卑劣漢」として罵詈讒謗を浴びさせれれた挙句処刑されかねないのである。

 いま地域政党としての「大阪維新の会」の代表は橋下氏であるが、現在の彼の職責範囲は当然のことながら大阪市でしか無い、大阪全体として各市町村の利害調整等の難事の実施責任は総て新府知事である松井氏が当たることになる。しかし改革の主導者は橋下氏だと思われているのでこれだとどうみても「名目指揮官」は松井氏ということになる。

 しかしこれでは傀儡政治という批判を免れることはできないし、「大阪都構想」が失敗した場合(私は只今「対決姿勢」をする強調する橋下氏の弁護士流やり方では、早晩破綻は避けられないと見ている)でも、橋下氏は「他の市町村が非協力だった」と他の市町村長もしくはその議会を非難するか、最悪の場合は「松井氏が私の構想を理解しなかった」か「松井氏が『既得権益』に妥協した」などといって非難し、松井氏がもし「都構想については私は詳細は知らなかった」や「橋下氏の考えを実施したに過ぎない」と言おうものなら、「責任転嫁するな」や「卑劣漢」という罵詈讒謗を加えられて政治生命を絶たれるのを避けられないものとなる。

 勿論所詮は政治家同士の権力争いでしかないなどと斜に構える見る御仁もいるかもしれないが、その対価が、大阪の人びとの多大な政治エネルギーの浪費と、彼らの政治関心の消失だとすればこれは大きな問題になるのではないかと恐れるのである。

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# |  | 2012/01/03 20:06 * edit *

御指摘ありがとうございます

> 素晴らしい慧眼に一言。
> 橋本⇒橋下では

御指摘まことにありがとうございます。
平松氏の字も間違えておりました。
早速訂正を致したく思います。

林 枯山 #- | URL | 2012/01/04 06:34 * edit *

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