05 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. // 07

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | comment: --

ある偏屈漢の異見(若者の保守化を御嘆きの貴方へ -前篇)  

さて、ここ十年来においてテレビ新聞雑誌の論調に「若者達が保守化しつつある」と取り上げた論調を間々見受けるようになった。左翼連はこの風潮に嘆き節、もしくは恨み節をとばす一方、保守連においては欣喜雀躍の態を見せている。しかし、その原因ともなると諸説紛々でありサッパリ要領がつかめないのもいつものことであるが、先日のこと私がいつものように本をよんでいるとき、「山本七平『一九九〇年の日本』 福武書店刊行」から以下の興味深い記述にぶつかったのである。


これは面白い現象で、たとえば昔は、「若いときにマルキシズムにかぶれないのはばかだけど、四十になってもかぶれている人間は、もっとばかだ」という言葉があった。二十歳代ではそういう意識をもっていてもかまわない。四十になってもそういう意識をもっていたらどうかしている。これはわれわれがごく普通にもっている考え方である。二十代から四十代で意識が変化し、その人間の考え方、生き方が基本的に変わるのがあたりまえであって、変わらなければおかしい。変わらない人間は少しばかなのではないかと見るのが、われわれの社会ではあたりまえ、この考え方はあらゆる面に出てくる。-P.214

まず、この文章は昭和58年(西暦だと1983年)のものであるが、学生時代が終わり社会で働いて生活経験を日々に営む人であれば漠然とであるが理解しているものであろう。ちなみに自身は幼少の頃(昭和50年代末~平成3年くらいまで)の観察と、吾身が月給取りの身になった経験から、大抵職場ではある同じ意見についての人々の反応が「あいつはまだ若手だからな」とか「あいつは30超えているのに落ち着かない奴だな」や「あいつは40にもなってあれじゃどうしようもないな」というのは別に珍しいことではないということからも、加齢による意識変化は只今現在であろうと当たり前だということを如実に理解できるものである。そして長くなるが以下の記述に入っていく。

これは文化の型なので、いいか悪いかは別問題。ただそうなると、ある年齢層がふえるということは、逆に社会全般がその意識を共有するという形になりやすいという、大変面白い点がある。若い人ほど保守化しているのはなぜか。面白いことに人口の中で三十代なら三十代、四十代なら四十代がいちばん多くなると、マスコミでも流行でも、だいたいそこが対象になる。団塊の世代(※昭和20~24年生まれ)が三十五ないし四十歳となると三十五歳以下の人間は読者と考えない雑誌が出てきて、専ら三十五歳以上だけをねらう。

それを若い人が読むとその影響を受ける。若い人が三十五歳ぐらいの意識になってしまう。その年齢層のいちばん多いところに、社会全般の意識が移行していく。これは日本における面白い傾向だが、その影響は感受性の強い若者の方が強く受けるので若者の保守化・老成化が促進されていく。面白いことには現代では、昔の意識をもったまま第一線を退いた老人の方が"進歩的意見"を口にする。

一方若者といえば、成人式で次のような「誓いの言葉」を述べる。「きょうから成人でありますから、老後のために貯金をいたします」と。聞いている方が驚いたと言うが、こういう意識が二十歳代に出てきているのは、社会全般にそういう意識が強く出てきてからに外ならない。これが日本の特徴だから、今後、高年齢層が多くなった場合、どういうふうになっていくか。社会全体が意識において、はなはだ老化するのではないかという気がする。一言でいえば保守化が激しくなるということである。-PP.215~216

この時の成人達は、只今ならば四十八歳となっている。今日只今において「保守化云々」と書いて危惧を書きとばす年齢層が、成人当時は大正生まれの人々を驚かせているほどの「保守発言」を行っているのであるのは大変面白く思えてくる。人の記憶とは常に書き換えをおこなっているというのにも至極納得できる次第である。

しかしどのくらい社会意識が老成化へ変化しているかを数値で知りたいというのも偽りのない点であるので、明確にそれを意識できる数値としては、人口学における年齢の中央値を紹介してみたいと思う。ちなみに年齢の中央値というのは、総人口を年齢順に並べて丁度真ん中の人の年齢を指すものであるので、平均値とは異なっている。

昭和25(西暦1950)年: 22.32歳
昭和30(西暦1955)年: 23.63歳
昭和35(西暦1960)年: 25.54歳
昭和40(西暦1965)年: 27.32歳
昭和45(西暦1970)年: 28.88歳
昭和50(西暦1975)年: 30.42歳
昭和55(西暦1980)年: 32.63歳
昭和60(西暦1985)年: 35.09歳
平成02(西暦1990)年: 37.39歳
平成07(西暦1995)年: 39.58歳
平成12(西暦2000)年: 41.35歳
平成17(西暦2005)年: 43.06歳
平成22(西暦2010)年: 44.69歳
(※引用元は日本国際データランキングより抜粋)

上記を見ると、我国の世代意識の老成化がどのように推移していったかが、明確に理解できるであろう。団塊の世代と呼称される人々の成人時は20代後半、昭和58年の成人だと三十代前半、昭和54年生まれの私の頃だと四十代になっている。若者とは感受性が敏感なのが大きな特色であれば、こうした時代の雰囲気に同調して保守を口真似するのは至極当然という感すら湧いてくる。かつての「マルクシズム」が「保守」に変化しているのも不可思議なものではないし、逆に四十代になっても「保守」なのはもっと馬鹿だという論に変化しただけなのであろうとおもえるのである。

スポンサーサイト

テーマ: 徒然なるままに…

ジャンル: ブログ

[edit]

« ある偏屈漢の異見(若者の保守化を御嘆きの貴方へ -後篇)  |  読書録其の31―4(生物としてのヒトと人間としての人_4)  »

この記事に対するコメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://cosandou.blog100.fc2.com/tb.php/66-249e1ae1
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カウンター

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。