07 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. // 09

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | comment: --

読書録其の31―3(生物としてのヒトと人間としての人_3)  

さて、前回より間が空いてしまいましたが、続きを書いて行きたいと思います。今回からは、昭和20年3月頃からで小松氏が米軍に追い立てられて山の密林地帯での話しとなります。

山の生活は雨と湿気が多く、被服の乾く間のないような日が続いた。それに持ち込んだ糧秣は米と肉だけで野菜に飢えてきたので、食用野草の調査をはじめる事とした。幸い、神屋氏が牧野博士の『日本植物図鑑』をこの山までもってきてくださったのと、自分の持っていた月明の『食用野草図鑑』はこの調査に大いに役立ってくれた。日本の草と比島の草では大部違うが、それでも似たものや同じ属のものなどを少しずつ食べてみて毒にならねばどんどん食べる事にした。虜-P.82

まさに泥縄式に山地自活が始まったことを思わせる記述であるが、実態といえばこの「日本の図鑑」すらなく、大部分の部隊は実際に食べてみて毒見するしかなかったのが実態である。まるで先の大地震の時に、徒歩で帰宅するにも関わらず一枚の地図すら持たず歩いていたのが大多数であったことを思えば、むしろこれが当たり前の姿なのだ妙に納得してしまう。

そしてこの状態から2ヵ月後の五月頃に兵団参謀勤務となった著者から以下のような記述が出てきます。

有富参謀、鈴木参謀と横穴の中で会談した。有富「もう糧秣はほとんどない。この危機を切り抜けるには密林内の植物を食べる以外ないと思うが、いかに」、自分「まったくその通りと思います。それで、入山以来この地帯の食用植物の研究をやってきました」、
有富「それではその研究結果を各部隊に教育してくれ」、自分「承知」、有富「主食になる物はないか」、自分「ジャングルの中にはない」、有富「ジャボクのような大きなシダの芯が食べられるそうだが、あれはだめか」、自分「丸八ヘゴの頂部の芯は美味で食べられるが量が少なく、澱粉質もあるかどうかさえ疑問です」、有富「澱粉があるかないかわかるか」、自分「ヨウチンがあればわかります」。有富参謀、当番にヨウチンとヘゴを取りにやらせる。試験してみれば、わずかに澱粉反応があらわれた。「少量はあるが副食程度で主食とはならない」、有富「ヘゴに似た黒い木は山中にたくさんあるが、あれは食べられぬか」、自分「あく抜きをせねば食べられない」、鈴木参謀「野草だけでは無理と思うが、このジャングル内での甘藷の栽培は不可能か」、自分「台湾の高山蕃人はかなりの高山で芋を作っているから、場所を選べばできると思います」、横田「できます」、有富「では当分の間兵団にいて、自活法の研究指導をやってくれ。友軍の死活の問題だから明日の命令受領者に現物教育をしてくれ、それから、四人だけでは不便だろうから坪井隊からあと五、六人追加させよう」。この会談はこれで終り、近くの貨物廠に行き一泊した。虜-P.92

どう見ても泥縄状態にしか思えない箇所であるが、これでもまだ良好な状態だというのが偽りのないところで、ヨーチンで澱粉を調べることもせず、また図鑑すらない状態でただひたすら口に入る物を放り込んでいたという記述は、南方戦線で飢渇に陥った部隊の多くが残しているところである。わたくしは小学生時に雑誌の付録の実験セットでヨウチンを米にたらし、濃紫色に染まるのを目の当たりにした記憶があるが、この当時の兵隊の食事量は1日最低線で米換算で三合四勺(1合は180gに該当、勺は合の十分の一)で充分に動かすなら一升が必要である。とても色の薄い「ヘゴ」では、一体どれほど腹に詰め込む必要があるか軽く眩暈がするところである。そしてこのような状態ではとても多くの将兵の食糧を賄い難いので以下のようなことが始まる。

我々の仕事も大体済み、有富参謀の話では野生植物だけではこの兵力はとても養えないから芋を栽培する事とし、坪井隊の河野少尉、神屋技師らはすでに地形偵察に出て芋の栽培地を捜している。そうなれば強力な部隊がいるので、自分達の研究班と坪井隊、年岡部隊(建技少佐)とを合わし、それに直衛部隊として海軍、飛行隊の一部をつけるので、これから芋の栽培と道路建設をやって貰いたいといわれた。虜-P.94

どちらも平時にすら数か月は要する仕事である。ましてや飢渇はそこに迫っている状況であり、その上米軍の砲爆撃に圧倒され日本軍は原則夜間しか行動ができない状態でこうした命令が下りてくる。何ともやりきれない姿であるが、ほぼ1年前には享楽のマニラとも言われた地域であり、人々は何もしていなかったことを思い起こすと、これも偽りのない日本人の姿なのだなと腑に落ちるところがある。 そして以下の記述も至極納得できる。

大和盆地に芋を植えるというので坪井隊の兵隊が芋蔓取りの斬り込み隊を組織し一週間の予定で出発した。敵に会わんよう土民の畑まで出て芋蔓を背負ってくるのだから希望者が多かった。十日目位にどうやら芋蔓を持って帰って来たので芋植えがはじまった。しかし芋ができるまでの糧秣はないので、この芋を誰が食べるか考えると兵隊達は働くのを嫌がった。ただ命令だからやる程度の仕事しかしなかったが、坪井大尉だけは上司の御意図大事と張り切っていた。虜-P.100

上記のように食糧がなくなっていった場合に、人々がどのような行動をとるようになるかを次回から紹介してゆきたいと思います。

スポンサーサイト

テーマ: 読んだ本。

ジャンル: 本・雑誌

[edit]

« 読書録番外編(独断と偏見の「戦争論」の読み方)  |  呟き(ある偏屈漢の異見)_不易と流行-加罰を好む御仁の性癖 »

この記事に対するコメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://cosandou.blog100.fc2.com/tb.php/63-0143103e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カウンター

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。