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読書録其の31―2(生物としてのヒトと人間としての人_2)  

 それでは、先ず小松氏が昭和19(西暦1944)年3月頃に着任した頃の、マニラの状況を述べているので、少し長くなりますがここに引用していきます。

 呑龍から降りたマニラ飛行場の暑さは、ひどいものだった。同行の鼠入大尉と自動車で大東亜ホテルに行く。ホテルでは兵站に行って宿泊券をもらって来るようにというので、自転車の先に腰掛のついた便利車に乗り、城内の兵站に行き、やっと大東亜ホテルの七階の室に泊まる。城内は不潔なところという感じだ。
 ホテル前はダンスホールで、内地では聞けぬジャズをやっている。散歩する男も女もケバケバした服装だ。内地や台湾を見た目でマニラを見ると、戦争とはまったく関係のない国へ来たようだ。すべてが享楽的だ。「ビルマ地獄、ジャバ極楽、マニラ享楽」大東亜共栄圏三福対といわれただけのことはある。安っぽい亜米利加文化の化粧をした変ちきりんな、嫌なところだと感じた。
 店側には東京では見ることもできない靴、鞄、綿布、菓子、服などなど、女房連が見たらまさによだれを流しそうな物ばかりだ。品物の豊かさは昭和十年頃の銀座の感じだ。夜はネオン・サインが明るく、ジャズの騒音に満ちている。悩ましくなってベッドへもぐり込む。蒸し暑い嫌な晩だ。(虜-P.14)

 
この着任にあたり小松氏は、マニラに来る前に内地で山篭りの準備一式を用意してきています。ところが現地につくとこの状態に、何か小松氏自身が内地や台湾で聞かされる「決戦へと向うフィリピン」との余りの落差があり、かつての日本の豊かさ(昭和30年頃まで我国では「あの頃に戻りたい」のあの頃が昭和8年頃であった)が日常としてあるフィリピンが現実に存在しており、そこにいる人の生活も以下のようなものであった。

 サイパンは陥落し、まさに日本の危機であり、比島こそこの敗勢挽回の決戦場と何人も考えているのに、当時(十九年四月、五月)のマニラには防空壕一つ、陣地一つあるでなく、軍人は飲んだり食ったり淫売を冷やかす事に専念していたようだ。
 ただ口では大きな事をいい、「七月攻勢だ」「八月攻勢」とか空念仏をとなえている。平家没落の頃を思わせるものがある
(虜-P.17) 

 この「危機は何時来るか」分っているのにも関わらず、人々は日常生活を送っている。昨日のように、今日も明日も続くと信じて疑わない姿勢は、何もフィリピンだけでなく、戦地に一度もなったことのない地方は、だいたいこのような実態だったことは、他の記録とも照合できる紛れも無い現実の姿なのである。しかし、 こうした日常性が何によって支えられているかを「人」はほとんど考えない、というよりも「人」は自分自身が、困る事が起きて欲しくないという願望を、願望だと認識していないというのが正確な表現であり、その願望の論理は「昨日はこうだった、今日もこうだ、明日もこうに違いない」という形を不知不識に唱えている。

 この論理は、我国の「危機管理」が実質できないくらいに厄介千万なものである。昭和19年初頭のフィリピンという、まさに危機がそこに迫る場所ですら強力に作用する。彼等は「今日も店で品物が買えた」、「今日も街はネオンがついていた」、「今日もそこかしこでジャズや映画の娯楽もやっている」という事実を提示した後で、願望の最たる「だから明日も大丈夫」だという話をする。ではこの論理がどのような時に崩壊していくかは、以下に引用するようなところである。

 だがそのとき、だれかが、危機から脱する道はこれしかない、と具体的な脱出路を示し、そしてその道は実に狭く細くかつ脱出は困難をきわめ、おそらく、全員の過半数は脱出できまい、といえば、その瞬間、いままで危機々々と叫ぶ大声に無関心・無反応だった人びとが、一斉に総毛立って、その道へと殺到する。危機というものは、常に、そのように、脱出路の提示という形でしか認識されない。(日-P.42)

 この反応は、生物としての「ヒト」が、その生命活動維持の為に、他の総ての人を押しのけるという、どこでも見られる反応である。俄かに信じがたいと言われる御仁もおられるでしょうが、今年の3月11日の大地震より2日経過後の、関東地方では別に珍しくも無い、人びとの「買い溜め」の姿を見ていただくより他はないと言うしかない。私は、たまたまぼんやりした性質のために、回りの人びとの殺気立った姿を、不思議な目で見ていたので、強烈な印象が残ってしまっているだけである。ただ、「人」が「ヒト」に変わって行くときの恐ろしさを、少しだけ理解することができただけであった。

それでは今回はここまでとして、また続きを書いて行きたいと思います。
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テーマ: 読んだ本。

ジャンル: 本・雑誌

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