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読書録其の29(戦場報道の一幕を覗く) 

`書名:戦争報道の内幕
著者:フィリップ・ナイトリー
訳者:芳地昌三
出版社:中央公論新社
価格:(金1286円 + 消費税)
刊行年:平成16(西暦2004)年8月 初版

今回紹介するのは、クリミア戦争からベトナム戦争までの年代における戦時・戦場報道を題材に書かれた書物です。紹介前にこのようなことを書くのは不味いのですが、この書を将来ジャーナリズムを目指す奇特な御仁は読まれないほうが賢明とだけ述べるしかありません。もし仮に内容を良く理解してしまえば言葉は沈黙してしまい望みの仕事に向う意気を挫いてしまうし、もっとありうるのは自分は「過去の教訓を生かす」などど途方も無い言葉の不感症状態に陥る可能性が高いからなのです。

さて、それではいつものように紹介をしていきます。
(※):私注となります。

・(※第一次世界大戦勃発時)ドイツ側は勝利していたし、短かったが戦果を上げている間に、ドイツ軍は中立国記者を前線に行かせ、あらゆる便宜をはかり、実質的に何も書くのも許した。その結果、イギリスとドイツの検閲官が自国民にニュースを開放する何日も前に、中立国の新聞にしばしば戦闘を活写する記事が掲載された。(P.95)
→これは前提として、勝者が中立国に向けての宣伝というのがある。勝者はまさに勝利している事実を掲載させるのが一番宣伝効果があることを良く知るものだからである。

・ドイツ政府は一般市民に犠牲者数を公表せず、アメリカ参戦の影響を過小に、ドイツ資源を誇張(※西暦1916年頃から特に)して発表していたので、ドイツ降伏のニュースはドイツ人には信じ難いものであった。(P.119)
→当時の戦時統制を実施していたドイツ参謀本部とその実質最高責任者のルーデンドルフが「背中の一刺」なる論を述べたのは、自己がドイツ国民を欺瞞していた実態を隠蔽するためだったということが理解できる。

・アメリカ人は帝政ロシアの崩壊をおおっぴらに喜んだ。ロバート・ランシング国務長官は、この戦争が民主主義と絶対主義の戦いであることを肯定するうえでこれまで障害だったものを革命が取り除いたと語った。(P.132)
→アメリカの民主主義なるものが「デモクラシー」ではなく「デモクラシズム」という恐ろしい一面を覗かせる場面である。

・マシューズは三六歳だった。彼は従軍記者の義務と自分の天職に伴う倫理について深く考えていた。「スペイン内戦を生きたわれわれ全員は深く感情的にならざるをえなかった……自分には偏見がないと主張する人びとの欺瞞と偽善、そして戦争を報道する特派員に客観性と公平さを求める編集者と読者のはなはだしいと言わぬまでも、その愚かさに私はずっと気付いていた……これは読者と編集者がいとも犯すありふれた誤りで、人間である以上感情も意見も持っている新聞人を永遠に悩まし続けるものである。(P.185)

・したがって、スティアが最初に行った非難、すなわち同町が軍事目標ではなく、爆撃の目的は一般市民の士気をくじくことであった、というゲルニカ伝説の誕生は、今では矛盾そのものとなった。トマス(※ヒュー・トマス教授)にうよると、爆撃は奇襲ではなく、またサイスワース(※ハーバート・サウスワース教授)によるとドイツ軍が一般市民の士気を試そうとした証拠は何もないという。ゲルニカは、共和国軍のバスク部隊が再編成する恐れのある場所、つまり軍事的目標であったとトマスは言い、またサウスワースは爆撃が戦術的作戦であったと言う。これによって、ゲルニカが特派員たちの産物であったことが明らかになった。(P.205)

・知性とともに熱情を込めて行われる報道の欠点は、その動機が、共和国側の報道が疑いなくそうであったように、基本的に正しければ、特派員は不快な事実には直面しようとせずに、むしろヒロイックな努力として記事を書き、不当な楽観主義によって、読者に思い違いをさせる傾向があることである。この誘惑にはほとんどの者が勝てなかった。(P.217)

・ダンケルクでのフランス側の役割はイギリスでは正しく伝えられたことがなく、当時フランス軍兵士に向けて中傷が行われたことが報道されたが、これらの中傷も是正されることはなかった。(※中略)しかし五万人のフランス軍部隊は、包囲されながらもリールを固守し、きわめて重大な四日間にわたりドイツ軍の七師団からダンケルクを守ったのである。民間の舟艇と漁船から成る船隊を含むフランス海軍は撤退を助け、イギリス海軍とほとんど同数の船舶を失いながら、約五万人の将兵を海峡を横断して運んだ。それ以来フランス側は、この貢献が当時報道されなかったばかりでなく、イギリスの公刊戦史においてもはっきり認められていないと苦情を述べてきた。(P.241)
→ダンケルク撤退時の後詰の行為が曖昧になっているのはこうした事情があったのか。

・今一つの要因は、西側の報道体制が政府の規制から分離しているということがソ連当局には完全に理解できないことであった。(P.267)
→共産圏は平戦時問わず報道部門が政府部門であるのが厳然たる事実であり、そういった国の報道は取り扱いが非常に難しいのである。

・夏季はボートで、冬季は氷上をラドガ湖を横断して食糧が運ばれ、いわゆる「ラドガ生命線」によってレニングラードは救われた。しかしこの生命線は、冬の飢餓によりすでに多大な犠牲が出ていた一九四二年二月になるまで効果的には機能しなかった。(P.277)

・ヘンリー・シュピロは一九七三年まで留まっていたが、その年を最後に四〇年間のロシア報道を終え、アメリカに戻った。彼のロシア勤務についての最終的な意見はこうである。「主張するジャーナリズムを信じる者の働くところではない。片方の立場を取り、感情的に関係するならば、改革運動者のようなものになってしまう。この地は実験室とみなさなければならない。否定、肯定両面を見なければならない。しかし特派員が片方を支持した瞬間、彼は記者ではなくなる」。(P.294)
→そして、この実験は現在進行中の出来事としてシナ大陸で行われている。

・(※国府の)特派員たちは各地の「戦場」視察に出かけ、奪い取った日本軍の銃や装備品の山を見せてもらったが、それらはいつもすべて同じもので、特派員の移動に合わせて運ばれたものであることを特派員たちは知っていた。ある特派員は日本軍の鉄帽に自分のイニシャルを爪でかいて書きつけておき、このことを実証した。これは特派員に見せる証拠の日本兵捕虜についても同様で、再三再四同じ顔が登場した。(P.307)
→国府だけでなく、西暦60年代の中共もまた大躍進時代に同じ農産物を常に移動して「大豊作」の報道をしていることを考えると、現地取材にも細心の注意を払う必要があるということか。

・日本軍がオーストラリアの病院船ケンタウルス号を沈めたことがあったが、これはオーストラリア軍部隊がニューギニアの負傷者がまだ収容されている日本軍野戦病院を破壊したことへの報復であった。この事実はオーストラリア軍情報部では一般的に受け入れられていたが、オーストラリア市民には知らされていなかった。(P.334)

・実際にはアラメイン線など存在していなかったが、特派員のなかには、有名なマジノ線のようにそれがロンメル軍団の進路を横切って伸びているという印象を伝えた者もいた。(P.362)
→戦線というものは、作戦側の理解を促すための補助線に近いものが多数あるということか。

・ある意味でマンローは正しかった。敵を必ず邪悪なものとする必要のなかった戦争では、愛国的な従軍記者は一方に片寄った見方をするようになる。ということは、戦時中の読者はほとんどの特派員の送信した記事を公式コミュニケを読むときと同じ見方、つまりいくらかの疑いをもって見なければならないということである。(P.375)
→これは良く才子が陥る「陰謀論」で見るというより、ごく当たり前のことから物事を検討する姿勢をもつということである。

・(※チャールズ・リンチ曰く)「われわれが戦時中(※第二次大戦中)に書いたものを見直すことは屈辱的なことである。これらの記事はまったくのくずである―――アーニー・パイルやアラン・ムーアヘッドのような記者も例外ではない。われわれは政府の宣伝機関だった。初めは検閲官が強制したのであるが、最後にはわれわれが自分自身の検閲官に成り下がっていた。われわれは応援団員だった。当時はそれしか道がなかったと思う。全面戦争だった。しかし、何としてでもわれわれの演じた役割を美化してはならない。よいジャーナリズムではなかった。そもそもジャーナリズムではなかったのだ」(P.396)
→我国の連合軍占領中の報道検閲体制というのは、戦時中の連合国の検閲体制をそのままに移植したということがはっきりわかる。だが、不可避ともいえるその報道行為をしてしまったと回顧するジャーナリズムなるものは我国ではほとんど見かけない。なんともいえぬ寂寥感を思わせる。

・(※ベトナム戦争時)彼がまだ治療を受けているときに、イギリスのある出版社から手紙を受け取った。「今度こそ永遠に戦争から魅力を取り去るため」『戦争を卒業して』という題で本を書くよう要請する手紙だった。ペイジはそのときの困惑を思い出す。「何だって!戦争から魅力を取り去るだって。一体、誰にそんなことができるんだ。炎上する戦車や爆発するヘリコプターから魅力を取り去ることなどできるわけはない。セックスから魅力を取り去ろうとするようなものだ。戦争は愉快(※傍点有り)(傍点著者)なものだ」(P.509)
→この部分が「信じられない」という御仁は、率直に言って戦争・平和のどちらの研究に対しても根本で素質が無いと愚考している。
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