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読書録其の25(『援助』を振返る) 

書名:傲慢な援助
著者:ウィリアム・イースタリー
訳者:小浜裕久・織井啓介・富田陽子
出版社:東洋経済新報社
価格:(金3400円 + 消費税)
刊行年:平成21(西暦2009)年9月 初版

それでは、いつものように紹介をして参ります。

(※):私注となります。

・しかし道路が未整備で、作ったものを市場に運ぶ輸送費は道路がよく整備されている場合と比べて五倍も高く、その結果チンウェの給料も上がらないし、将来への希望もあまりない。道路アクセスが悪いので、ヘルス・ワーカーも学校の先生のオクプジェに来てくれない。私はアフリカのでこぼこで穴だらけでどろんこの道を車で走ったことがあるが、まさに難行苦行だった。(P.30)
→開発援助は生産面に重点を置かれがちであるが、こうした地味な交通アクセスの整備をしたほうが現地の人々の自助を支援できるのではないかと考えさせられる。

・よく一緒くたにされる二つの問いを区別しなくてはならない。一つは先進国は援助で何ができるか、という問いであり、もうひとつは、どうすれば途上国の長期的発展が実現するか、という問いである。この本は第一の問いに答えようとするものである。援助に第二の問いの解答にはならない。(P.38)

・つまり一九五〇~二〇〇一年の期間、外国援助が平均以下だった国々は、外国援助が平均以上だった国々と同じ経済成長だったのである。つまり貧しい国は援助を受けなくても、プラスの成長をするのに何の困難もなかったのである。(この分析をより詳しく知りたい読者は、Easterly (2006)をみたほしい)。(P.50)
→『開発援助』というのが統計上から見て幻であったということか。

・Burnside and Dollar(2000)にもClemens et al.(2004)にも、援助機関とその擁護者が強調したがらないもう一つの解釈がある。少しでも成長の効果がある場合、両研究とも、より多額の援助がすでになされていると、追加的援助からの成長効果は小さい、ということを明らかにした。Clemens et al.(2004)は、援助が受入国のGDPの八%に達したとき、成長への効果がゼロになり、その後の追加的援助は成長にマイナス効果を持つといっている。これはビッグ・プッシュ(※途上国に巨額の『開発援助計画』を実施すること)の理由を真向から否定している。(P.62)
→善意が良結果を産むとは限らないという端的な例

・長年中央計画経済を研究していたメリーランド大学の経済学者ピーター・マレルは、一九九一~九三年の一連の論文で、ショック療法はユートピア的な社会改革だと批判していた。当時彼の主張は受け容れられなかった。(※中略)ショック療法に対するマレルの批判が正しかったことを証明したのは歴史であった。「現存する制度を軽蔑しきっている。……歴史、社会、現存制度の役割は、改革プログラムを決める上で全部ちっぽけな問題だと考えている。……市場経済を作るためには破壊を伴うものだと考えている。……ショック療法者は、テクノクラート的な施策の実施はきわめて簡単だと考えている。……現在の制度をすべて否定しなければならないと考えている(Murrell 1993) (PP.75~76)
→我国では、「市場主義」から今度は「規制主義」へと論を変える経済学者が多いのは、根本において「既存体制」を軽侮していとも容易く「改革」の実施ができると思い込む欠陥を抱えているためか

・効率的市場に通ずる道よりも、安定的な民主主義に通ずる道のほうが、もっと茨の道である。市場と同様、民主主義が機能するためには、フェアプレーのルールを地道いボトムアップ方式で育成していかなければならない。(P.139)→間違っても「選挙」をやれば「民主主義」だと思い違いをしてはならないということか

・しかしながら、援助国に対しても、ショック療法や画一的な計画の推進には絶対反対していかなければならない。これらの改革は、段階的に、小刻みに、実験的に行うべきで、また対策は国ごとやセクターごとに異なるであろう。(※中略)最後に、欧米諸国の政治指導者や社会活動家に、途上国の圧政を知らせ非難することが必要である。しかし、欧米の政府・機関が、途上国の悪い政府を良い政府に変えてくれると期待してはいけない。(P.181)

・この異常な症状(※外国援助の評価基準がインプットの『援助額』になっている)にも、少なくとも理論的には解決策がある。豊かな国において援助機関を監視する時、援助の実行額(および彼らがファイナンスする支出)を成果のものさしとして使わないようにすればいいのである。(※中略)援助を批判する人々は、豊かな国の国民と政治家を説得して、援助支出額で援助機関を評価しないようにすべきである。重要なのは援助の成果なのである。(P.211)

・開発は複雑であり、貧しい人々の力は弱く、受益者からのフィードバックを得たり失敗から学ぶことは難しい、というわけで、外国援助はそもそも難しい問題であるということをご理解いただきたい。包括的な援助フレームワーク、中央の計画、グローバルな目標などというのは、一切合財ゴミ箱に放り込んでしまおう。現地の人々のニューズを察知し、それぞれの現地の実情に合わせた援助をしよう。(P.237)
→そして「途上国」を導こうなどという迷妄も併せて捨てなければならない。

・治療に使われたお金が、有効な予防に使われたら、治療によってエイズ患者が一年延命する代わりに、三人から七五人の新しいHIV感染者を回避できるだろう。エイズの予防ではなく治療にお金をつかうと、エイズ危機を改善するのではなく、悪化させる。(P.292)
→援助は、こうした「数」の効率性が非情なまでに実例として突きつけられる一例である。そして原則として援助は「より多くの命を助ける」もしくは「より大きな被害の拡大を防ぐ」という観点から実施する必要性がある。

・預金者保護のため、いい加減な銀行に対して政府は厳しく監視すべきだというのは通説だが、彼らの研究によれば、銀行監視が強くなればなるほど健全な銀行業の発展は阻害されるという(彼らはこの場合逆の因果関係もコントロールしている)。健全な銀行業の発展は貧しい人々の生活改善に重要な要素だが、もし健全に銀行業を発展させたいなら、彼らの研究が示唆することは、厳しい銀行監視ではなく、銀行業の情報開示のほうに重点を置くべきだということになる(Barth et al. 2005)
→我国にも明治・大正・昭和初期までは「無尽」という金融機関が存在していたが、もしこれらが総てが政府の厳しい監視下に置かれていたら我国の産業発展は大きく遅れていたことが予想できるだけにこの部分には大いに首肯できる。

紹介はここまでとして、後は本書を読んで頂きたく思います。そして本書を読了した後で、「その国を改善するのはあくまでそこにいる国民」の手で行うしかなく、援助はその人々に対するキッカケやほんの手助け以上のことを望むことはできないのだという、当たり前の事を実感できるのではないのかと思います。
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