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読書録其の24(法と責任の摩擦) 

書名:洪思翊中将の処刑
著者:山本七平
出版社:文藝春秋
価格:(金1700円)
刊行年:昭和61(西暦1986)年3月 第三刷

いつものように紹介をして参ります。

(※):私注となります。

・日本軍は韓国人を本当は信用していなかったから、イギリスがインド軍を編成したように、韓国軍を編成しなかったし、徴兵制も施かなかった。だが昭和十八年になり、戦局悪化の予想にあわてた軍が朝鮮全土に急遽徴兵制を施いたが、再召集されてその連隊長をやらされた老大佐の述懐によると、訓練どころか「逃亡させない」が精一杯の状態だったらしい。(P.22)
→我国はどうも思考形態に垣根を取り払って同化すれば友好関係を構築するという傾向が出るが、はっきり異なる朝鮮半島でこの措置をとったことが両国にとって痛恨事だったと考えさせられる。

・この点西欧よりもむしろアメリカの"世論"に似た面があるが、調べてみると、少なくとも韓国に関する限りこの傾向は戦後の特徴ではなく、戦前、否、明治以来ほぼ一貫している「日本人の韓国観」だともいえる。その特徴は日韓を区別できる、そのため「韓国の歴史において韓国を見る」ことができず、日本の現状を絶対の尺度として相手を批判し規制しようとする"アメリカ的態度"である。尺度とは言うまでもなく、戦後は「アメリカ輸入・日本型民主主義」であり、戦前は「プロシア輸入・日本型君主制」であった。(P.54)
→我国は夏目漱石が指摘したように、近代から思考方法まで含めた「モデル輸入」を行う選択を行ったが、借物ゆえにかえって基準の絶対化をして、そのモデルから遅れたと見做した人々を指導する悪癖をみにつけたということか。

・一体、日本側の発想のどこに間違いがあったのだろう。明治以来の日本の行き方に一貫しているのが「既成事実をつくってしまえばこちらの勝ち」という発想である。われわれはおそらく「既成事実」の信奉者で、ひとたびそれが出来てしまうと、終戦時のように全員総転向でそれに従う。そこで常に既成事実をつくることにのみ熱中し、そのためには全勢力を投入する。(P.84)

・この規定の中で最も問題なのはB(1)(c)の傍点(※非人道行為が国内法に違反するかに否かに問わずの部分)を付した部分ではないであろうか。この規定が挿入されたのは、おそらく念頭にナチスがあったためと思われる。というのはナチス・ドイツの国内法においてユダヤ人虐殺は合法行為として行われたわけであり、それを積極的に計画し従事し熱心に遂行した者でも、「それが行われた国における国内法」には違反しておらず、従って自分は自分を律していた「法」を犯していないと主張できる。そしてナチス・ドイツはアメリカもこれを承認していた独立国の政府であって非合法政権とはいえない。その国の合法的政権の公布した法にその国民が従うのが「合法」であり、「法に従ったがゆえにそれはその者の個人的犯罪であるとの主張はおかしい」という主張が通れば「戦犯」という概念そのものが成立しなくなるか、きわめて限定された範囲に限られる。この点は東京裁判におけるインドのパル判事の「全員無罪論」との関連でも問題だが、洪中将の場合でも、「日本国の法および軍の規律を守ったから違法ではない」という主張は成り立たないことになる。(PP.114~115)
→ニュルンベルク裁判を少し知るだけでも、極東国際軍事裁判の見方が変化する。巷で冗談話として「次はイタリア抜きでやろう」と言う人がいるが、上記の引用を知るだけでも私としては、几帳面に悪事を行うドイツの共犯にされるくらいなら、チャランポランなイタリアの巻き添えを喰らうほうが余程良いと考える。

・比島戦における邦人の処置については多くの非難があり、特に、山岳州まで邦人をつれて行ったのは「山下大将の失策」だと言う人もいる。しかし、当時のゲリラの諸行為の実態を知っている者には、この非難は必ずしも妥当性をもたないように思われるし、ゲリラによる虐殺やそれを目前にしての集団自決が起ったならば「軍は邦人をマニラ乃至その附近(の食糧豊富な平地)に放棄して自分たちだけが山岳地帯に逃げ込んだその結果……」という、満州におけると同じ非難が起っていたであろう。(P.134)
→我国は戦史に共通する気になる点は「現地の人間に過剰な責任を負わせる」思考形態である、大体の論としてなんでもかんでも「現地の責任者」が臨機応変にやればよかったと指摘するが、長い間に現場を無権限状態に放置したり、大きな方針変更をアリバイ作りのような一片の電報や会議参加で済ませている中央側の重過失には滅多に目を向けられず、枝葉末説の議論に精力を消耗し続ける虚しい状態に陥ってしまう。

・ジュネーブ条約では捕虜はすべてどこへ派遣されようと捕虜司令官の指揮下にあり、従ってすべての権限と責任は捕虜司令官にあり、その人が「失業」になることはあり得ない。いわば日本側は「ジュネーブ条約の精神云々」と言いながら、捕虜の編成の基準は『作戦要務令』通りなのだが、だれもそれを口にしない。(P.192)
→此の点を現行の自衛隊が頭を悩ませている厄介な問題となっていなければ良いのだが

・しかし、考えてみれば「意識的に巧みに責任を回避したり転嫁したりすること」は、明確な責任体制の中でこそ起り得る非倫理的行為であり、体制そのものが無責任であるということは、それとは逆で、その中の"責任者"が事実を事実のまま率直にのべればのべるほど、責任の所在が不明になっていく体制のはずである。もちろんこの体制では「一切が私の責任である」といってすべての罪を引きうけることも可能である。この態度を立派と考えて感動する人もいるわけだが、これは「無責任体制」であるがゆえに取り得る立派な態度であることも否定できぬ事実であり、これを行われると「個人的立派さ」と引きかえに「組織の欠陥」が不明になってしまう。という観点から見ると、この態度を期待し、それを立派と考えること自体が、形を変えた「無責任体制の支持」であることを否定できず、これへの倫理的評価は無責任体制と裏腹の関係になって、それを容認しかつ支持していることになるはずである。(P.205)
→こうした点が山本七平たる所以で、その書を読むときに背筋が凍りつく体験を避けることができないのである。

・いずれの時代のいずれの場所にも無責任人間はいる。しかしそのことは、「補佐責任(※ある案を出した人間は案の採用実行者と共に執行責任を負う)」には「権限責任(※ある案を出した人間と案の採用実行者の執行責任を負わない)」とは違って「責任という意識」がなかったということではない。この点を無視して、この基本的に違う二つの責任感を同一視した「責任」という"戦後話"による戦前・天皇・軍部等への批判は、すべて、その実態を捉えていないという点で、はじめから問題とするに足りない愚論であろう。虚構への批判をいくら重ねても、実態への真の批判とはならず、真の問題点の剔出にもならないからである。(P.249)

・(※米兵捕虜が解放されると歓迎された待遇を水準として捕虜生活を評価する)もちろんそうならない者もいるが、多くの者はこの倍、「今の(※恵まれた)状態を基準とすれば……」日本軍の待遇は虐待そのものであったと考えても不思議ではない。と同時に捕虜時代にゴマをすった者ほどそれが強烈な屈辱感となり、卑屈さが一転して高飛車な告発になることもある。現に、ゴマすりの偽証で絞首台へ送られた者もいる。そしてこれらのことを明確に意識し、そうならないよう自戒しつつ公正な証言をすることは、相当に自己抑制のできる人間にとってもむずかしいことだと言わねばならない。人間それほど強い存在ではない。(P.319)

これ以上は、ただただ膨大なる引用紹介が続いてしまうのでここで筆をおくことにします。内容はある既に60数星霜の月日がながれた数多く行われた戦時犯罪の公判を取上げた著作ではありますが、日本と朝鮮と米国の「法」を通じた考え方の相違と、そうした法と我国がどのような摩擦が生じていったのかを知ることに裨益することが大きな著作ですので、この本を見かけましたら是非に一読を薦めたく思います。
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テーマ: 考えさせられる本

ジャンル: 本・雑誌

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