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読書録其の19(第一次大戦とは何か) 

書名:イギリスと第一次世界大戦
著者:ブライアン・ボンド
訳者:川村康之
出版社:芙蓉書房出版
価格:(金3500円+消費税)
刊行年:平成18(西暦2006)年 第1刷

第一次世界大戦というと、我国では馴染みの無い戦争というのが正直なところで少し戦史に興味をもたれる人でしたら、戦車や飛行機や機関銃に毒ガス等の数多くの新兵器が投入された戦争であり、近代総力戦という概念にふさわしいものだったということを認識されているかもしれません。またもう少し詳しくなると『機関銃の社会史』にあるような塹壕戦に対して「無慈悲に勇敢なる歩兵に対して突撃を反復命令する将軍達」という一時我国で風靡した乃木評を聞いているような記述を思い出すところがあるかもしれません。今回の紹介するこの書はこうした我国で聞きなれた評論からは少し毛色の違う軍事史から見た視点に特色があります。

さて、前置きが長くなりましたがいつものように紹介を致します。

※():私注となります。

・ある大国が国際的な協定を破り、何の罰も受けずに小さな隣国を侵略することが許されるのなら、ヨーロッパの文明は痛手を被ることになる。この見解は、あらゆる階層の人々の支持を受けたように見え、戦争中の驚くほど長い間、またこの戦争に愕然とするほど巨額の費用がかかることが判明した後でさえも、支持され続けた。(PP.13)
→この当時の認識を忘れると、簡単に人々が戦争を回避できたと考えてしまうと言うことか。

・実際、初期の予想とは反対に、政府がたとえば検閲や宣伝という様々な手段を用いて世論を形作ろうとしたが、その重要性はあまりなかったという多くの証拠がある。新聞の検閲には一貫性がなく、驚くほど寛大だったが、新聞業界の大物たちの新聞には国民の士気を維持し、軍隊を支援する義務があるという確信によって、検閲の必要性はほとんど問題にならなかった。したがって、実際には大量の部数を発行する日刊紙が、イギリスの参戦理由の正当性を強調し、またそれと同じくらい重要だが、参戦を支持しない個人や集団に対してその根拠を否定するためにあらゆる努力をした。そのため、新聞は平和主義者、良心的兵役拒否者、ストライキに参加する者、その他の戦争に反対sていると考えられる者を常に敵視した。(PP.16~17)
→我国も後30年ぐらい経過すると、第二次大戦中の報道統制なるものの実態が上記英国と大差がない状況と論じられるときがくるのではないかと思う。我国の戦時中の報道統制の実態なるものは戦後の「GHQ統制」と比較するとザルもいい所だというのは直感できるからである。

・(※西暦1916年8月に公開された『ソンムの戦い』について)現代人から見れば戦争の恐怖と虚しさを強く裏付ける映画として解釈されがちであるが、当時の人々は、参戦の理由が正当であると決め込んでいたため、勝利を得るまでは屈しないという決意をされに強めたように見える。(P.19)
→凄惨な大量死を見せれば『反戦映画』になると脊髄反射思考をするのが如何に危険なことかを痛感させられる。

・「細心な計画の結果、各種の構成要素が統合され、他のすべての要素に対する最大の支援を提供した。ここに、どこよりもまして、これらの最終的な戦闘の技術的な進歩があった。イギリス軍は、戦勝のための兵器を生み出したわけではない。彼らが生み出したものは、兵器システム、つまり各種の兵器を相互に支援する全体として一体化したことである」(PP.26~27)

・後で議論するように一、二の例外を除いて、戦争文学(多くの場合戦前、戦後と戦時中の経験を描いた回想録)に現れている考えが普通は複雑で矛盾してさえいることは驚くには当たらない。戦争を主として恐怖、恐ろしいものや流血の惨事として思い出している知識人の何人かは、同時に戦争を好機、特権や開放として経験した。実際に、「戦争に対する相反する矛盾した感情は、最良でもっとも正直な戦争文学の特徴なのである」。(P34)
→我国では残念ながら敗北のためか、後者の意見を抑制する雰囲気があったためか、前者の部分をことさらに強調した不自然なる作品が多く見かけてしまう。

・リデル・ハートは、戦争のいくつかの側面、例えば第一次マルヌの会戦、ソンムの会戦、戦車、一九一八年のドイツ軍の攻勢などに異様に関心を抱いたが、それ以外の砲兵、兵站、幕僚活動や最終的な連合国の勝利などには、それほど興味を持たなかった。彼は不思議なことに、兵士たちの経験した「真実の戦争」とは距離を置いていた。中でも、彼は、戦術や戦略に関する公式見解を知り、高度に知的な、非常に多くの情報が得られるジャーナリストの立場で戦争を観察した。これらの能力によって、彼は優れた「批評家」になったが、戦争の本質とこの問題がどのように取り込まれたかを浮かび上がらせ、理解し、説明することに挑戦すべき歴史家としては、優れていたとはいえない。(P.62)
→確かにリデル・ハートからは第一次大戦時の軍事制度のシステム面における急速な変転を知ることは無理で、下手をすると我国の旧軍人連が述べたような「物量」や「長期損耗」による結果だと読めるところがある。

・つまり、戦争の政治的・戦略的な力学を説明する試みであり、「それによってのみ、ここで語られている人類の悲痛な経験の意味を明らかにすることができる」のである。このことは、ほとんどすべての文学的・文化的な戦争の解釈に共通する主要な欠陥であるように私には思われる。もしも政策や戦略が除外され、あるいは適切に説明されていないとしたら、破壊と膨大な死傷者への自然な反応として、「無益な」とか「無駄な」という言葉があまりに容易に受け入れられることになる。(PP.84~85)
→そして後者の意見に染まると、「無益な」か「無駄な」行為に関わった当事者を愚鈍視するかもしくは冷笑するという甚だ傲慢なる思考形態が蔓延することとなる。

・それは、おそらく、トラヴァースの伝統的・近代的兵器の定義が砲兵を前者(すなわち、進歩的でない)に区分しているのに対して、大部分の学者は砲兵を軍事における革命(RMA)の基盤となった決定的に革新的な兵器であると考えたことに一部の理由があるのであろう。(P.100)
→第一次大戦時というのが、それまでの砲兵の役割とは大きく異なるものだという認識が、我国では薄いのが現状である。
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MUTI #56eU4vEw | URL | 2010/05/27 22:59 * edit *

Re: No title

MUTIさま

ご助言を頂いた「トラックバック」なのですが、意味が全くわからないため調べてみたのですが、どうも相手先のブログ内容を一部引用もしくは、話題の関連性をもたせて記事を書いた場合に行うと良いようなことらしいという至極不明瞭な理解状態なので今回は見送らせていただきます。

林 枯山 #- | URL | 2010/05/30 10:25 * edit *

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