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呟き(第二次大戦における帝国海軍の決戦主義の影響) 

 今回はいつもの定番の読書紹介ではなく自分なりの考え方を備忘録としてまとめたものです。さて、題名を見て何をいいたいか不明なので簡単にのべますと「対米戦開始の時点(※昭和16年暮れまで)」における帝国海軍の戦争における基本思考形態というのは、艦隊派であろうと航空派を問わず「決戦思想」が前提であり、かつまた事態が消耗戦に移行した段階で帝国海軍の頭脳が「決戦思想」から切換えが出来ないままのいわば「適応障害」をおこしていたのではないかと言うことなのです。

 例に挙げますと、対米開戦前の昭和15年に海軍は次期試作発動機として中島飛行機の「誉」を選定します。この発動機はシリンダーのリッター当たりの馬力が50馬力を超えるという、同時代の航空先進国の米国や英国の発動機が40馬力半ばであったことを考えると恐るべき野心作であったと振り返ることができる代物でした。そして、戦後この発動機は「我国の国力を無視していた」や「戦時生産を意識していない無謀な設計」や「整備負担が異常にかかり信頼性が薄い」と散々な悪口雑言を浴びせられることになりました。しかし、そもそも何故このような発動機を海軍が選定したのかについては、私が知る限りでは余り活発な議論を見たことが無く最後は「米国の物量」や「我国の国力の貧弱さ」という結論が出て終ることが多いものでした。

 しかしこの議論には一つの「落とし穴」がありまして、それは端的に言えば実際に行われた航空機の消耗戦から見て帝国海軍の航空派の航空機政策を判断しているために、海軍の航空派が決戦思想の持主ということや量産性や信頼性を軽視してでも性能第一主義を追求したことが当然の論理であったことが理解できなくなってしまっているのです。昔の帝国海軍であれ今の海自であれ、「人材は早急には出来るものではない」という基本前提をもっていることを念頭に置かなければなりません。彼等にとっては何年(十数年)も手塩にかけた人材も機材も短期間(移動を含めても2ヶ月を切る程度)で行われる「此の一戦」のために使用することが前提であり、手持ちがなくなった後でもう一度戦力を再建することなど戦時中においては実質不可能だという認識をしているのです。したがって、決戦時には何としても相手より高性能な機材を投入するのは非常に合理性がありますし、その際の整備にしても決戦体制で臨むという方法ならば切り抜けることが出来ると見積もるのに無理はないのです。そして、この決戦思想における帝国海軍の端的な表現が後世において批判を受けている開戦初期の平出大佐の発表に現れているのです。
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