05 // 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. // 07

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

[edit]

trackback: -- | comment: --

読書録其の13(政軍関係について其の一) 

書名:軍人と国家 上巻
著者:サミュエル・ハンチントン
訳者:市川良一
出版社:原書房
価格:(金2400円+消費税)
刊行年:平成20(西暦2008)年 第1刷

我国では良く「シビリアン・コントロール」とよく呼号するのですが、そもそも近代における軍人とは何なのかということや、職業軍人と政府の関係についての基礎議論が等閑視されやすい現状を見ると、半世紀近く経過したといえどもこの著作の価値は大きいのではないのかと考えています。

※():私注となります。

・将校は専門領域において顧客の必要とするものを説明し、どうすればこれらの必要を満たしうるかについて顧客に助言を与え、顧客が自分の決定を行ったときには、その決定を実施する上で顧客を援助しうるだけである。(P.17)

・貴族的なアマチュアの軍隊は、その下士官・兵が長期服務の正規の軍人である限りにおいて頼りにすることができた。後者がアマチュアの軍人になったとき、軍隊の規模は大きくなり、いっそう多くの有能で経験に富んだリーダーシップが必要とされた。軍隊機構の強固な中核を供給すること、軍事技術の進歩改良に責任をもつこと、そして持続的な流れをもった兵士を下士官によって訓練することが、将校の機能となった。(P.39)
→近代国家としては、下士官はともかく兵はどうしても長期服務というのは現実味がないので、将校の重要な任務として軍事技術並びに教育内容の進歩・更新が欠かせなくなるということか。

・(※著者がクラウゼビッツを引用しながら)しかしながら、その軍事組織が用いられる目的のよしあしを判定することは、その軍事組織の能力の範囲外のことである。つまり「戦争の政治目的は、全く戦争の領域以外のところにある……」戦争は、それ自身の論理と目的を持たない。軍人は、常に政治家に従属するものでなければならない。戦争の指導というものは、政治家の責任である。何となれば、戦争は、「そのより高度な関係において鋭い洞察を国家政策に対して行うことを要求する」からである。(P.57)
→私としては、政治と軍事と外交の関係は「二頭立ての馬車」にたとえると解りやすいように考える。軍事と外交は馬であり、御者と車が政治というものではないか、こうした図式ならば政治の責任は最も重いのも、また軍事が政治に従属しなければならないかをよく伝えるのだと思う。

・安全保障に対する脅威を評価する場合、軍人は、他の国民の意図よりもむしろ、それらの能力に注目する。意図というものは、本質上政治的なものであり、元来気まぐれで変わりやすく、それを評価し、予想することは実際上不可能である。(P.66)
→毎度のことながら我国の防衛論議でいつもここが、左右問わずネックとなる箇所でもある。「仮想敵国」設定を行うのが「友好関係の破壊」という暗黙の前提になっているので、「北朝鮮の脅威論」や「吉田ドクトリン万歳」という議論になってしまう。

・ヒトラーに対する抵抗に参加したドイツ軍の将校もマッカーサー将軍も、戦争と平和の問題を決定することが軍人の機能ではないということを忘れたのであった。(P.77)

・文民グループは、政治的に中立な将校団を全然容認したがらない。彼等は、将校団が彼等自身の利益と原理に服従することを強要しつづける。その結果、高水準の客体的なシビリアン・コントロールは、近代的な西欧社会においてさえも、まれな現象だったのである。(PP.85~86)
→我国では、戦前において戦間期において出てきた「皇軍」思想と、戦後からの「平和憲法」思想が同程度に政治価値中立のシビリアン・コントロールに確立を阻害しているのが偽らざる現状である。

・同じことは、軍に非同情的な社会におかれた軍人についても当てはまる。将軍や提督は、権力を獲得できるかもしれないが、職業軍人倫理は、そうはいかない。政治権力のもつ抑制効果(taming effect)が、彼等を良き自由主義者にし、良きファシストにし、良き共産主義とするが、専門職業人としては無能になる。専門的職業遂行上の満足とその専門的職業上の規則を固守することが、権力、地位、財産、名声上の満足と非軍人的グループの称賛によって置きかえられるのである。(P.95)

・自由主義は安全保障については、国家利益の倫理的妥当性を非とするから、戦争は自由主義の目指すものと両立しないものとして非難されるか、それらの目指すものに支えられて、ひとつのイデオロギー上の運動として正当化されなければならないかのどちらかである。(P.148)
→アメリカの安全保障論議に時折、間歇的に倫理的な「悪」という言葉が出てくる下地がこれか

・平和主義者は、職業軍人を自己の昇進や権力の拡大を図るために紛争をひき起こす戦争屋だと考える。十字軍の戦士は職業軍人を戦争がそのために戦われる理想に無関心な、またその理想によって覚醒されることのない、戦争遂行上の不吉な障害物であると考える。平和主義者は、軍人が自分達の平和に害毒を及ぼしているものと考える。また十字軍の戦士は、軍人が自分達の聖戦を汚すものと考える。(P.150)

・第一次大戦前の二十年間は、戦争が条約や制度的装置によって抑止されるという信念が最も優勢となった時期であった。軍人は平和の殿堂が平和をもたらすものではないこと、そして条約はそれらが権力政治という基本的な現実を反映するものである限りにおいて、信頼するに足るものであることを再三再四警告した。(P.257)
→そして残念ながら、我国においては第二次大戦後に欧州各国の戦間期の「信念」が支配風潮のまま六十星霜もの月日が流れてしまっている。
スポンサーサイト

テーマ: こんな本を読んだ

ジャンル: 本・雑誌

[edit]

« 読書録其の14(帝国陸軍の頂点と奈落のみちのり)  |  備忘録2 »

この記事に対するコメント

コメントの投稿

Secret

トラックバック

トラックバックURL
→http://cosandou.blog100.fc2.com/tb.php/22-34b6b0d3
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

カウンター

プロフィール

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

ブロとも申請フォーム

QRコード

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。