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備忘録2 

先週の木曜に久方振りに目黒の防衛研究所図書館を訪れたことが出来たので、ここに継続調査案件のメモを残す。


資料1(近衛連隊第一連隊歴史補遺より)
・昭和20年8月15日午前2時に下達された所謂「偽命令」は、その内容については下達時間の数時間前に古賀参謀より連絡されていたものであった。
→これで昭和20年8月14日午後11時頃に、東部軍と連絡をとった古賀参謀が不破参謀に「近衛師団は決起しました」という話について腑に落ちる。おそらく古賀参謀はこの時点においていくつかの部隊に私物命令を出し、「私的盟約に基づいて兵を動かす」という「ルビコン」を渡る行為をした自覚が上記の科白となったと考えられる。

資料2(東部軍終戦史 昭和21年 不破博)
※この資料は陸軍大臣への終戦時の報告書というもの

・八月十四日ノ朝、田中軍司令官ハ呼ハレテ阿南陸相ノ許ニ至ツタカソノ時阿南陸相カラ「本土決戦ヲ飽クマテ強行スル場合東部軍ノ作戦準備ハ大丈夫カ」トノ質問アリ田中軍司令官ハ「大丈夫テス」ト答エタカ更ニ阿南陸相ハ言葉ヲツイテ「本土決戦ヲ強行スル場合、和平論ヲ主張スル政府要人ヲ監禁スル必要カアルト思ウカ東部軍トシテ成算カアルカトウカ」トタツネタ ソコテ軍司令官ニ随行シテイタ高嶋参謀長ハ「コノ問題ハ餘程慎重ニオ考エニナル必要カアリマセウ」ト答エタ
→この会見は梅津参謀総長にクーデターを断られた後の会見なのだが、不穏な情勢が継続中というのが読める、またこの資料は後日の線引きがある以前の時点(つまり昭和20及び21年)において、この時点の言動から阿南陸相がクーデターに加担していたと見ている。

・八月十四日ノ昼頃不破参謀ハ森近衛師団長ヲソノ司令部ニ訪ネ、万一廟義カ終戦ト決定シタ場合東部軍トシテハ如何ナル態度ニ出ルヘキテアルカニツイテ教エヲ乞ウタ。(※中略)実ハ本朝来中央ノ若イ連中(※30~40台の佐官連を指す)カ入レ代ワリ、立チ代ワリ、近衛師団ノ蹶起ヲ強要シテ来ルカ私ハ陛下ノ御命令カナクハ一兵ト雖モ動カサヌトテソノ都度追イ帰シテイル然シ彼等ノ信念ハ固く私ノ説得ヲ納レヨウトハシナイ。
→朝の阿南・梅津会談でクーデターが終了したと後世に書かれた記述は信頼度を割引いて読む必要あり。

発生した不明・疑問点
①田中軍司令官と阿南の会談は、記録があるのだが何故か森近衛師団長についての記録がない、師団長が一人で陸軍省に向ったのか、水谷参謀長もしくは古賀参謀または副官が随行したかも不明
②陸軍省の佐官蓮はしきりにこのとき「東部軍」という単位に注目するが、これは当時編制上において紙の上では「近衛第一連隊」が「東部第二部隊」と呼称されていたことを過大視して、自己(陸軍省)の手駒として動かすことが出来るとおもいこんでいたのではないか。
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