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読書録其の12(ある新品士官による解剖記其の二) 

書名:私の中の日本軍 下巻
著者:山本七平
出版社:文芸春秋(文春文庫)
価格:(金514円+消費税)
刊行年:平成17(西暦2005)年 第10刷

前回に引続きまして、紹介をして参ります。

※():私注となります。

・しかしだれ一人(※運命共同体という環境の兵隊間ですら)として、「お前の本当の苦しみは何だ、それをありのまま語ってくれ、おれにできることなら何でもする」とはいわないし、それに気づかない――そしてただ一方的に一人よがりに、この兵士に勝手なことをいい、そして最後には「これだけ言ったのに、貴様はまだワカランカッ。ひとの迷惑を考えてみろッ」と言うだけなのである。(P.14)

・こういった「エサ」に等しい食事や動物に等しい生活を何年も強制された者が、全く予期せず、不意にタタミにすわらされて、まがりなりにも「日本食」らしきものを出されたらどうなるか―――人は私の言うことを信用しないかも知れないが、大の男が、いわば歴戦の勇士、あらゆる苦難に耐えてきた人びとが、文字通り、手放しで泣き出すのである。この「感覚的里心」ともいうべきホームシックは、それほど強烈なものである。(P.27)

・「戦意高揚のために書いた」という言葉自体が「私たちは内実は新聞記者ではなく宣撫班員でした」という自白に等しい言葉だが、事実、「百人斬り競争」にしろ「殺人ゲーム」にしろ、宣撫班文書としてなら立派なものであり、これを書いた人たちはみな実に有能な宣撫班員だとはいえる。(P.33)
→そして今でも継続中の事なのでもある。

・(※兵と起居を共にすべきだというマジメ将校の意見に対して)「そう言ったって、陣地の後方のジャングルに師団長宿舎や所属家屋、司令部用宿舎を作るとなれば、結局兵隊は余分の重労働で苦労がますだけだ、つまるところ、そういう主張をする人も、杖をつかわにゃ歩けないほどツルツルすべるあの伐開路で、材木や砲弾をかつぐということが、どんなに苦しいことか知らないから言えることなのだろう」と。(P.39)

・私はときどき思うのだが、それが軍隊と呼ばれようと自衛隊と呼ばれようと、そういった組織をこのような体制で保持することは、絶対してはならない、とは断言できると思う。何しろ武装集団である。電報一本でその責任者の一人を有無をいわせず罷免できる強力な責任体制なしで武装集団を保持することは、非常識ではないであろうか。もちろん私がいうのは「実質論」であって「形式論」ではない。形式なら昔もととのっていた。ただ「御名御璽」を見て、「エエッ」と驚くのが実質であった。(P.53)
→我国の再軍備で実質上最大問題の一つとみて間違いない点で、間違っても我国流の「文民統制」などではないことだけは確かである。

・マスコミが華やかに活動していることは、言論の自由とは関係ない。戦争中、NHKも大新聞も華やかに活動していた。要は、一個人が何ら圧迫もうけず自主規制もせず、自分の考えていることを全然自らごまかすことなく率直にそのまま言えるかどうか、にかかっているのであろう。その権利を制限する資格はだれにもないはずである。(※中略)どのように時代がかわろうと、時の権力を批判するような顔をしつつ実質的にはその権力と密着し、常に何らかの大義名分をかかげては人びとの思考と言論を規制しつづけ、また規制しつづけようとしてきた人びと、いわば常に「規制する側」に立ってきた人びとに理解できるわけがないと私は思う。彼らのいう「言論の自由」とは、「自分たいちの言論による一方的規制力の無制限な自由」ということにすぎないであろう。それは、「言論の自由」ではあるまい。そういう人たちが、「毛語録」一色で塗りつぶされた中国に羨望と嘆賞の言葉を発したとて、私にはそれは少しも不思議ではない。その人たちは、昔もそうであったし、今もそうであるにすぎないから。(P.70)

・日本刀は折れるものではない、曲がるのである。その事実を知らないで「人を斬った」などという人間がいたら、ほらふきである。(P.108)
→週一の割合で試斬をしている方の話でも、兎に角日本刀は良く曲がるということを話されていた。

・(※文中の引用)<筆の序であるが、昔の侍は、戦争の場合、いづれも刀の鍔元から五六寸のところの刃をひいて用ひた事が伝えられている。これは、自分の刀で自身を負傷させる箇所は多くこの鍔元であり、実戦にあたつて、殆ど用もないのも亦こゝであるから、武道に熟不熟を問わず、この部分の刃をひいて置く事の安全な事をおすゝめして置く>(PP.119~120)
→これも良く真刀で負傷する原因として、わたしが見聞した事実と符合している。

・女性は常に戦争に反対であったなどという神話は、私には通じない。戦争をその心底において本当に憎悪しているのは戦場につれて行かれる兵士であって、絶対に戦場にやられる気遣いのない人びとではない。そしてあらゆる問題の解決において、最も有害な存在は、無責任な応援団であろう。そして「現場」に送られる人間にとって最も不愉快な存在は応援団であった。(P.179)
→我国における「真夏の炎天下における運動の恐ろしさ」の理解を邪魔している最も恐るべき人びとは、夏の「熱闘 甲子園」を無邪気に応援する人びとなのだと実感させられる。

・大体、砲兵が敵陣を砲撃し、歩兵が敵陣に突入するということは、歩兵にとっては、友軍の弾着点目がけて突進するということだから、事故が起るのがあたりまえだろう。撤退援護射撃でもこの危険は同じである。(P.195)
→おそらく第一次大戦中に鉄帽が急速に普及した大きな要因のはずだが、指摘されない点である。

・戦場の軍人は必ず「敵は強かった」という。これは現実に敵と向きあっている人間の実感である。同時にこれは一つの自慢なのであって、「その強い敵に勝った」のだという意味である。(P.199)
→これは戦史を紐解くときに必ず無意識の前提として頭に入れておく必要があるように思う。

挙げればきりがないためここで終りますが、此の他にも三十数星霜という年月を経た今でも十分に興味深い指摘や考えさせられる記述がある著作だと私は考えているので、是非に時間がありましたら一読を薦めたいと思います。
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この記事に対するコメント

たびたびすみません。

二等兵であります。私も無論下巻も読みました。今も不毛な議論が続けられいる
「100人斬り論争」に冷徹な論評をしています。

結局日本人は何も変わっていないのです。「聖戦貫徹」が「平和への祈り」になった
だけなのです。「国防婦人会と愛国婦人会」の戦争協力競争の凄まじさは有名ですね。
女性は平和主義者は違うと思います。国民大衆も傍観者である限りは「戦争大好き」
です。オリンピックの熱狂を観ればわかります。

それを煽って大儲けするのが「マスコミ」なのです。構図は何時も同じです。

小学校の時「日教組」の女先生に平和教育を受けた私は、女の熱狂が如何に恐ろしい
ものであるか良くわかります。「国防・愛国婦人会も日教組の女闘士」の根は同じなのです。
もしかすると「韓流ドラマに熱狂するオバサマも」です。

最初のコメントで「悪の論理」の著者蔵前先生と書きましたが、倉前先生の誤りです。お詫びして
訂正します。未読ですが同じ題名の本が別の著者から最近出てます。これも「地政学」の本です。

しかし、国際環境・政治学を考える上で、「地政学」的発想は絶対必要だと思うのですが、
それを「悪の論理」にしてしまうのが、日本人の悪い意味で「善良」なところなのでしょう。

そうそう、「平和の地政学(芙蓉書房)ニコラス・スパイクマン著」これもお勧めです。
この訳者がもう一つの「悪の論理」の著者です。スパイクマンの理論はいわゆる
リムランド論ですね。(著者はWW2中の米国政府のブレーンで大学教授)

マッキンダー理論をもう一歩進めたものです。「北米大陸の安全保障の為には現在・
過去・未来に於いて、ユーラシア大陸深部に強力な独裁政権を成立させてはならない」
というのが骨子で、そのため、海島国家を利用せよ。というふうに私は解釈して
います。ではまた・・・・







二等兵 #- | URL | 2010/04/04 11:20 * edit *

Re: たびたびすみません。

二等兵様

再度の情報ありがとうございます。スパイクマンですが最近翻訳された『平和の地政学―アメリカ世界戦略の原点』は興味深く読むことができました。米国の危機とは太平洋及び大西洋から包囲されることであり、如何にしてその状況に陥らないように米国として各国と関わっていくべきかという内容の著作であったと記憶しております。

私も我国が「世界の中の日本」として、国際政治を行う以上は地政学の発想を避けて通ることは出来ないと言う点で、全く同感なのですが、一つ気になるところがありまして何故我国では「リアリズム理論」≒「倫理面で悪」という図式に陥ってしまうかということなのです。第二次対戦後何度も繰返し行われている我国の国防論議において国民を説得できなかったのが、この図式を用いたためではないかと考えております。

定期的に色々な話題を議論をする方とこの点について議論してみると、その方からすると我国の哲学が「己の欲せざる事を他者になす勿れ」というもののために「我国が他者の欲しない事をする」という事を強調した地政学やリアリズム論理というものは、我国においては拒絶反応を招き、結局国民の説得に失敗してきたのではないかという指摘でした。この指摘に私は深く頷かされております。

林 枯山 #- | URL | 2010/04/04 20:13 * edit *

返信ありがとうございます。

二等兵であります。枯山様、将にその通りです。日本人の「儒教論理」の勝手な
誤解だと思います。本物?「儒教」はもっと即物的で残酷なものだと思います。
「岩波文庫・新書」の世界でしかありませんが・・・

それでも私は中島敦先生の「弟子」は大好きなのです。私も日本人なのです。
枯山様も埼玉とか?私も「川口」です。川口は「キューポラのある街」で有名ですが、
以前別宮先生のHPで投稿しましたが、あの映画「大嫌い!!!」ですが、

川口は「拉致の街」でもあるのです。理由はご存じの通りです。曽村先生の本も
お読みになりましたか?、「現代と戦略」の論考でコメントしました。

明日は所要で大宮に久しぶりに行きます。三年ぶりか?大宮のブックオフと
ジュンク堂で掘り出し物を探す事にしましょう。機会があれば、県人会でもしましょう。

ではまた・・・

二等兵 #- | URL | 2010/04/04 21:39 * edit *

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