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呟き(クラウゼヴィッツ偶感その壱) 

クラウゼヴィッツというと『戦争論』の著者として有名ですが、肝心要の『戦争論』については名は知られてるが、案外通して読む人はおらず、またある意味一度読んでみたものの、その出版経緯(当人が出版を目的とした整理を行う前に死没)からやむ得ない事情もあるため、通して読むとかえって混乱するところがある著作というところがあります。

では、そもそも何が混乱状態に陥るかを簡単に述べますと有名な「戦争とは政治の一手段である」という語句にあります。これだけを見ると明確にクラウゼヴィッツが軍事に対する政治の優越を説いたといわれる部分なのですが、これが実際に戦争論を一読するとそうとは思えない状態になり以下のような論も出てまいります。

(例一、ある陸軍士官学校教官)
(※クラウゼヴィッツを引用してから)そして、条理からすれば戦略は政略に従属すべきものであるが、戦略の可能性を無視して政略を樹立することは出来ない。つまり政略と戦略とは相互に作用して樹立され遂行される所謂政戦略一致が必要である。

(例二、ドイツのヘルムート・モルトケ)
政治目的のために、戦略は最大限の奉仕を、このように政治に対して行う。ただし交戦期間中の戦略は政治から可能な限り独立していなければならない。政治は作戦に干渉すべきではない。クラウゼヴィッツ将軍も、ミュフリンクに宛てた戦術上の通信において、この趣旨の発言を行っている。「特に兵術は政治に対して、政治が戦争の本性に反する事柄を要求したり、政治が軍事という手段に無知なるがゆえに軍事力行使にあたって過ちを犯すことのないようにする責任と権利がある」とクラウゼヴィッツ将軍は言っている。というのは、戦争の動きを決定するのは何よりも軍事的判断だからであり、軍事的要請と衝突しない限りにおいてのみ、政治的判断は傾聴されるからである。(片岡徹也編著『モルトケ』PP.36~37)

さて、上記の二例を読むとクラウゼビッツを紐解いたと思われる両者は、その結論として政治に対する軍事の同権性もしくは、独立性をクラウゼヴィッツから引き出すことさえしているという点に面食らうところがあると思われます。この二例を見る限りクラウゼヴィッツの『戦争論』は軍事に対する政治の優越を説いたものではなかったのではないかという印象さえ持ちます。しかし、結論から言えば明確にクラウゼヴィッツは軍事に対する政治の優越を説いている点については間違いは無いのです。

では何故このような理解がクラウゼヴィッツの『戦争論』から導き出されるのか、この部分に次回は焦点をあててゆきます。
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この記事に対するコメント

「戦争は政治の延長である」

枯山様
 
 私の手元に在る『他者への架橋 桶谷秀昭対談集』(1974年、国文社、1500円)から故・村上一郎(1975年死去、著書に『日本軍隊論序説』など)の発言を引用しておきます。なにかの参考になるかと思いますので。

 村上 (前略)「戦争は政治の延長である」なんて、多くが誤読なんです。クラウゼヴィッツに三ケ所ばかりそういう言葉ばあるんだが、いちいち言い廻しが違うんです。あれをアレンジして、口移しにして、内戦、革命、国家間の戦争だろうと、割切るんですね。ソ連の共産主義者はそれに批判を出している筈なんだが、僕はロシヤ語もドイツ語もよく読めないから、その辺の文献を十分にはあさっていないけれども、大筋はろくなアンチテーゼになってないと思います。実に百何十年、クラウゼヴィッツに引曳り廻されています。しかも明治以来、だいたいの人は、イギリスのマーレイという陸軍少佐の本、それに拠っているんですよ。じつに貧しいんだな。あとはルーデンドルフ、毛沢東しかない。だったら東洋の兵学七書でもよくこなすべきだ。三派なんかも知らないで、クラウゼヴィッツの掌の中にいる。(以下略) (初出『無名鬼』9号、1968年6月)

 引用だけで恐縮ですが、今回はとりあえずこれにて。 失楽亭

失楽亭 #6qvtZKK6 | URL | 2010/02/20 20:23 * edit *

Re: 「戦争は政治の延長である」

失楽亭様

興味深い著作のご紹介ありがとうございます。
確かに我国の紹介された『戦争論』は余り程度のよくないものだというのは、今手元にあるレクラム版のクラウゼヴィッツと比較すると良くわかります。また、そのレクラム版でも「戦争」の概念分類が出来ていないと、軍事優位もしくは同権性のテーゼを主張する代物と捉えられるものともなりますし、戦争推進の著とも捉えられることもあります。しかし、これは後でも触れようと思うのですが、戦争論の軍事面から論じた部分から過度に影響を受けた「誤読」ではないかということを論じて行きたいと思っております。

林 枯山 #- | URL | 2010/02/21 07:55 * edit *

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