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或る偏屈漢の異見(再構成の恐怖)  

ある程度の時間を生き知命而立の年を幾星霜も過ぎたが、つくづく記憶を再構成する怖さがみにしみて実感できるようになってきたところ。かつて日記をつけようとして一か月ばかりで挫折した試みの残骸を読み返してみようと思ったところ興味深いものがあったのでつらつらと思いで話をしてみようと思う。まずは一字も変えずに当時の自分の記録を記述する。

「正義の変革者供へ」
盲目なる汝等 自らの血を吸い 自ら滅ぶが良い
一時の正義の熱狂 後の残るは荒蕪の地 荒蕪の地に立ち汝等問え
汝自身の犯した正義の罪
平成十二年七月十六日

何を書いているか全く意味不明な文であろうが、これは日曜日に何かのTVの討論番組を見た後に私が書きなぐった文である。今の20歳より下の人々は信じがたいかもしれないが、この当時にはIT革命やグローバリゼーションなる言葉が我国で連呼されており市場万能思考論が世を一世風靡していたのであった。そして、夜のニュースでは日経平均株価を映し出して「本日の市場は」という言葉と、総ての政府の行うことは総て「市場」に織込済などと言って冷笑然とした態度をとっていた解説者が珍しくもない状況のときであった。

ある意味において「構造改革論者」にあらざれば人に非ずといった有様であり、田原総一郎氏などもこの風潮に完全に乗って政府批判をしていたことを思い出すのである。そしてそれに少しでも異議や懐疑を懐くものを改革を阻む愚者もしくは悪漢扱いし、一方の自己を「正義の変革者」と規定していたのであった。

当時のわたくしは経済学部に通う一学生であり、アメリカ発と言われた「ニューエコノミー」や「市場万能論」に対しては、「市場の失敗」も弁えない論に対しては疑問に思っているような状態で、ましてや経済体制の仕組がアメリカとは異なる日本に直訳したような改革などすればかえって災いを呼ぶと判断しておりました。そしてそれを全く無視して「正義の改革」を行わんとするような彼等の態度に自信満々なるヤブ医者ではないかという考えがあり、私自身には大して存在しない堪忍袋の緒が切れた結果が上記の文と相成りました。

そして、この当時の私の怒りも、見立ても誤りを多分に含むものであったと今では考えますが、当時の自分自身が市場ルールを日本において如何に上手く適合するように整備する道を模索する必要性などは欠片も認めていなかったということは確かなものでした。

もしそれを否定すればどうなるかと言えば、巷に溢れる現在の「正義の人々」とまるで変わらなくなるしかないでしょう。現在の田原氏や経済学者の多くの人々は、自分自身の10年前の言説を持ち出されれば眉をひそめるか、必死で取繕か、「黙れ!」と一喝するか、はたまた状況倫理に従って己が強いられていたと止めどもなく話すかのどれかになるしか無く、その後で「自分は生まれ変わった」などどいって新たな状況倫理の目的を再構成し、そこに向かって一直線に己の言説を編集していくでしょう。

そして一番恐ろしいのは反省ということが不可能となってしまうということでしょう。何故なら反省というのは、ある動かない尺度を措定して、自己の行為を吟味することであり。例を挙げれば「汝盗むなかれ」という尺度が、総ての人を対象ではなく今日はAさんなら問題無いとか、明日はB集団からはむしろ奪え、Cの物は盗みにならないなどどなってしまったら、自己の行為を反省するなどブラックジョークの類でしかないでしょう。そして、この状況に落ち込んだ人物の言説は興味深いことに名詞が変わる以外には、不可思議なほどワンパターンの思考方法を飽きもせず使い続け、事態対処能力を徐々に失うという状態に落ち込んでしまうのである。

テーマ: 雑記

ジャンル: ブログ

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