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読書録其の31―4(生物としてのヒトと人間としての人_4)  

さて、前回からの続きですが少しだけ前置きをいれる、以降からは生物としての「ヒト」の行為を取り上げてきますが、その記述を読む際に是非とも喜怒哀懼愛悪欲という激情を発さず、あるがままのヒト姿を見てもらいたいとねがっている。「他者の痛みは我が痛み」など自称する御仁にはここから先の記述は百害あって一利もないし、「歴史の教訓」などど説教する御仁もまた同様である。早々に以下の記述など読まずお引取願いたく思う次第である。

山では行き倒れはいたる所にあり、皆互いに腹が空いているので穴を掘ってやる元気も体力もないので倒れた所で朽ちてゆくだけだ。山の登り口とか乗り越えねばならん大きな倒木石などの所には必ずといって良い程死んでいた。死ねば、いや死なぬ内から、次に来る友軍に靴を取られ服ははがれ、天幕、飯盒など利用価値のある物はどんどん取り去られてゆくのでボロ服を着た屍以外は裸に近い屍が多かった。虜-P.102

当時の我国の人々も勿論普通は行倒れや屍の放置などはしないのが当たり前である。その上で行き倒れと屍の放置がそこかしこにみられた時は、ほとんど周囲には「人」はおらず生命維持に邁進する「ヒト」が居る状態だと心得てよい状況である。 そして全体としては以下のような状態が展開される。

糧秣のない部隊は解散して各自食を求めだした。そして彼らの内、力のない者は餓死し、強き者は山を下りて比人の畑を荒し、悪質の者は糧秣運搬の他の部隊の兵をいおどしあげて追いはぎをやったり射殺したり切り殺して食っていた。糧秣運搬中の兵の行方不明になった者は大体彼らの犠牲となった者だ。もはや友軍同士の友情とか助け合い信頼というような事は零となり、友軍同士も警戒せねばならなくなった。虜-P.103

以下の記述はその状況を細密に描写したものである。

ストッケードで親しい交際をしていた人の内に、最高学府を出た本当に文化的な人がいた。この人はミンダナオ島で戦ったが、山では糧秣が全くなかったので友軍同士の殺し合いをやったという。或る日、友人達を殺しに来た友軍の兵の機先を制して、至近距離で射殺した事があると話してくれた。そしてその行為に対しては少しの後悔も良心の呵責もないといい切っていた。それはその友軍兵を自分のほうが先にやらねば、必ず自分が殺されているから、自己防衛上当然やむを得ない事だといった。虜-P.280

生物としてのヒトは繰り返しになるが生命活動維持に邁進しているので「良心の呵責」とか「罪の意識」なる人に属したものは無くなっているので、上記のような行為も飢渇に対応した当然の反応としかならないものとなってしまう。それは残りの食糧が一週間前に迫った小松氏の周辺でも同様であり次のような記述が出てくる。

その夜、堀江が虎の子のミルクの罐詰をあけ、皆(五人)に平均に分けた。その時隊長である船越に特別たくさんに分けなかったといって彼は激怒した。品性下劣な男とかねてから聞いていたが話に勝る馬鹿者だ、皆あきれ返って以後話もしなくなる。この日以来堀江は事毎にいじめられた。ミルクの執念恐るべし。この男生まれが悪いか、生来のひねくれ者か、忠告すれば隊長の威信にかかわったとでも思うのか、かえって反対の行動をとるので一切いわん事とした。その内兵隊に殺される類に属する男だと思って。虜-P.117

これは食糧がないための一時状態かと思われる人もいないかもしれないが、一度徹底した飢渇を経験してしまうと、その人は地金にヒトとしての行動が出やすくなり食糧が入った後になっても以下のような行動をしてしまう。

(※希望盆地で食糧がある状態で)船越は魚やエビの大きなのを一番先に食べてしまうので皆の反感を強めていた、船越は兵を酷使したり敬礼をせんといってたたいたりするので、兵達は船越を打ち殺す計画までたて機会をねらっていた。船越とはよほど馬鹿か育ちの悪い人間だ。悪逆非道とはこういう将校の事をいうのか?虜-P.127

(※収容所内で)米軍から二日置きに糧秣が支給になる。米、小麦粉、それにたくさんの罐詰が。罐詰の内には、破損したり、外見の錆びついている物、腐敗した物が相当ある。これらはまとめてゴミ捨場に捨てられる。するとたくさんの人間がそれを奪い合って拾う。これを、「膨張罐拾いの人種」という。これら捨てられる罐詰の中には、少数食にたえる物が混じっている。これが彼らのねらいだ。「膨張罐を拾わんでください。見苦しいですから。また、あたれば死にますよ!!おなかがそんなに減っているなら炊事であげますから」と係員が怒鳴っているが、一向にやみそうもない。(※中略)特につけ加えておきたいことは、これらの人種の内の大多数は老人、将校だという事。鼻下に美髯を貯え、丸々と肥って、常に卑屈な笑いを浮かべ、「将校の体面にかかわるから、やめてくれ」といくら注意されても平気な主計大尉もいた。虜-PP.174~175

もし餓鬼道の絵を見られた経験を持たれる人ならば、ありありとあの絵が戯画ではなくありのままの現実を写したのかわかるような光景が以下の記述にでてくる。

所内をカゲロウの如く、フラフラと歩き回っている様は、悲惨なものだった。食欲だけは常に猛烈だった。これは食べねば回復しないという意志の力も手伝っているようだが、少し食べればすぐ下痢をおこし、また衰弱する。それでも食べるので下痢も治まらない。常にガツガツしている様は、餓鬼そのものだ。自制心の余程強い人は良いが、そうでない人は同情を強要し、食物は優先的に食べるものと一人決めしているのが多い。

軍医氏の話によれば、「栄養失調者は、身体のすべての細胞が老化するので、いくら食べても回復しない。それに脳細胞も老化しているので、非常識なことを平気でやるのも無理はない」という。なるほどと思われる解説だ。この栄養失調者の群れが、ゴミ捨場に膨張罐を、炊事場に残飯をあさる様は、惨めなものだ。のちに彼らだけに二倍の食物が給与されるようになった。若い兵隊はそれでも回復していったが、年の多い将校の中には、いつまでも回復しない人がたくさんいた。いずれにせよ、この栄養失調者の群れは、同情されぬ人が多かった。虜-P.127

自制心という話が出ているが、その自制心とはどの程度のものを指すかといえば以下のようなものである。

どうにもならなくなった時、この一切れの芋をくわねば死ぬという時に、その芋を人に与えられる人、これが本当に信頼のできる偉い人だと思った。普通の人では抜けられぬこの境地に達し得た人が人の上に立つ人だ。PP.276~277

私は中学高校時代で一度づつ『渇望』という言葉の意味が分かる程、水が欲しいと思える状況を体験してしまったが、そのどちらであっても上記の境地にたどり着くことなど到底できないことを思い知らされたことがある。とくに高校時の経験では、小松氏のように先行き不透明な状況が並行して起きていたとすれば、私は近くのドブ川に迷いなく顔を突っ込んでいたのは想像に難くないし、もしかりに目の前にコップ一杯の水があったとすれば、それを他人に分けることなど到底出来なかったということも偽らざる自身の姿だと察することができる。

そのような私が、あの大地震からずっと恐ろしいと思っていたのは原発事故から人々がエネルギーを節約するのがいとも簡単なこととして捉えられており、絶対にそのような生活をする気がないのに御坊さんの言葉だけを鵜呑みにして容易く同調し、気違いのように「節電」を訴えたことが、まるでマニラの白昼夢を見ているような気がしてしまい背筋が凍えたことである。そして以下に記述の重さを痛感もさせられるのである。

いわゆる「残虐人間・日本軍」の記述は、「いまの状態」すなわちこの高度成長の余慶で暖衣飽食の状態にある自分ということを固定化し、その自分がジャングルや戦場でも全く同じ自分であるという虚構の妄想をもち、それが一種の妄想にすぎないと自覚する能力を喪失するほど、どっぷりとそれにつかって、見下すような傲慢な態度で、最も悲惨な状態に陥った人間のことを記しているからである。

それはそういう人間が、自分がその状態に陥ったらどうなるか、そのときの自分の心理状態は一体どういうものか、といった内省をする能力すらもっていないことを、自ら証明しているにすぎない。これは「反省力なき事」の証拠の一つであり、これがまた日本軍のもっていた致命的な欠陥であった。従って氏が生きておられたら、そういう記者に対しても「生物学的常識の欠如」を指摘されるであろう。

氏は、ある状態に陥った人間は、その考え方も生き方も行動の仕方も全く違ってしまうこと、そしてそれは人間が生き物である限り当然なことであり、従って「人道的」といえることがあるなら、人間をそういう状態に陥れないことであっても、そういう状態に陥った人間を非難罵倒することではない、ということを自明とされていたからである。(日-PP.226~227)

昨今では文明による「暖衣飽食」という幸運が当たり前でいつまでも続くという気安さから、いとも簡単に「自然に帰ろう」などと口走る人々がいる。しかし、自然に帰った場合に人々に待ち受けているのは1000人中999人が前述したような生物としてのヒトにしかなれないのである。そして当然ながら自然はそんなヒトなど一切保護しないのである。それが如何に恐ろしい状況に陥るかは既に我々の先祖が体験していることである。この事実をただ淡々と思い知らされる両著は、裨益することが多いので一読をお勧めしたく思う次第である。
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