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読書録其の15(アジアは一つという大いなる幻影) 

書名:東アジア「反日」トライアングル
著者:古田博司
出版社:文芸春秋(文春新書)
価格:(金710円 + 消費税)
刊行年:平成17(西暦2005)年 第一刷

前回紹介した著作は朝鮮の歴史と社会が、我国と大きく違うことに重点をおかれたのに対して、今回は東アジアの「反日」というのはそもそもどういう論理で行われているかを興味深くとりあげられている良著となっています。ただしこの書をよんで「理解≠友好」というのが分ってしまうのが怖いと思われる御仁は読まれないほうが懸命と考えられます。

それではいつもの如く紹介をいたします。
※():私注となります。

・(※映画「シュリ」の『祖国統一万歳!』に驚いて)これは北朝鮮研究に携わるものであれば自明のことだが、北朝鮮では統一よりも指導者に対する忠誠のプライオリティの方が高い。しからばここは、「指導者同志万歳!」あるいは「金正日将軍様万歳!」と行きたいところである。(P.17)

・さて筆者は、二〇〇二年春に、北朝鮮北部の清津などの都市や農村を訪れたが、むやみな自然改造の結果、山は崩れ、流れ出す泥土で河床は上がり、国土は荒廃しきっていた。これが全土に広がっていることを思えば、インフラ整備に莫大な金がかかるのは明らかであり、ドブに円を捨てる覚悟のない限り近づくべきではないと心得る。(P.19)

・(※2004年頃の韓国)国内に雇用がないため失業者も多く、加えて一流大学出でけが出世街道を歩き、それ以外の者の敗者復活戦がない社会なので、中流のものたちはさらなる職を求めて次々とアメリカに移民しつつある。韓国では中産階級が移民するという現実は重い。(P.20)
→経済の再生産みならず国家においても安定した秩序維持に寄与する割合の高い中流層が国、外に移民として流出するというのは、カントリーリスクの高い国にみられる危険な兆候である。

・さて中国・韓国・北朝鮮と順を追って、彼らのナショナリズムが単純なものではなく、それぞれの中華思想の古層の上に、国家主義・民族主義の新層の載った二重構造のナショナリズムであることを示してきたが、その古層に蛮族・日本に対する侮蔑があり、新層に反日があることを忘れてはならない。(※中略)日本という国や日本人は、そのような存在として東アジア諸国に認識されている。はっきりそう覚悟を決めてかかった方が良い。なぜならば、これらの諸国において、中世の歴史は日本侮蔑の中華思想の歴史であり、近代国家の歴史は、その日本への抵抗から始まったものだからである。日本侮蔑は伝統であり、反日は修正不可能な、いわば国是なのだ。(P.24~25)
→東アジア諸国の『近代国家建国神話』が「反日」が内臓されているという端的かつ余りに重い指摘であるが、ゆめ忘れてはいけないことである。

・そこで道徳的(※世界認識の中華思想)に優位に立つと考える彼らは、日本に対しては何を言っても、何をやってもいいという志向性を本来的に持っている。これを道徳と区別して「道徳志向性」と呼んでおこう。「道徳志向性」さえあれば、これを武器にして逆に日本を押さえ込み、領土問題や天然資源問題を自己に有利に展開することができる。(P.29)
→この思考パターンが「古層」という根っこの部分であるのが厄介千万な事態をこれまでも、これからも招いていくことになるという憂鬱な指摘部分。

・しかし中国がめざいていることは、韓国と同様に歴史上の事実を検証することなのではなく、自分たちの「正史」に従わない日本や台湾に、道徳的な劣性のレッテルを貼り付けることなのである。(P.81)
→これが東アジア全般の「歴史認識」の共有の飾りの無い部分である。

・日本側が対中侵略や朝鮮の植民地化について少しでも肯定的な見方を示すことは、中国・韓国にすれば、正当性に対する許し難い挑戦なのであり、彼らの反発の本質はここにあるのである。しかし、それゆえに、彼らの側が中華思想と、そこから生じる正史史観を堅持するかぎり、彼らの側の実証的な歴史研究は一向進展しないし、教科書問題は繰りかえされることになるであろう。(※中略)歴史教科書問題は歴史的事実の客観的な検証などによって解決する類のことではなく、彼らの作った歴史の方を「正しい歴史」、つまり「正史」とし、その中華の歴史を道徳的劣った日本が素直に飲むか否かという、彼らのエトニの拡張と包摂の意図をはらんだ問題なのである。そしてこの意図は、かつての日本も彼らに対して同様に抱いた野望なのであり、われわれは自らの過去から攻撃されていると見なければならない。(PP.82~83)
→山本七平氏が戦前の昭和頃から我国で跋扈した思想の中に、かつての忘れ去られたはずの朱子学に呪縛された思考方法があることを指摘したのに通じる部分。

・(※韓国ではレフトがナショナリストで親日・親米がライトで事大主義という話の後)日本人で反日(※良心的知識人)なので、彼らは反ナショナリストということになる。ところが、その人たちが東アジアのレフトと連帯しようとすると、彼らはナショナリストであるから、彼らのナショナリズムを逆に強化してしまうことになるのである。そこのところのねじれというものを、韓国を見るときにまず理解しておきたい。(PP.116~117)

・北朝鮮でいう「独立採算制」とは、中央の強力な計画と指導と統制のもとで、労力と賃金の節約と資材の自己調達せよという意味なのであり、自弁だけが独立的であるにすぎない。(P.138)
→この言葉を一時北朝鮮の資本主義導入と持て囃していたが、実態はこのことだったのか。

・在日コリアンを「贖罪」の働き手に閉じこめ、日本の近代がその胎内に孕んだ「鬼胎」のごとく呪縛し、同国人を内側から叩くことによってしかアジアと連帯できない「アジア主義者」たちは、実は、戦前・戦中その意図が積極的になればアジアを侵略し、戦後その意図が消極的になれば土下座をする、同じ日本アジア主義の入れ子の子孫たちなのだ。(P.168)
→我国の「アジア理解」なるものがそもそも胡乱なものとなる最大要因の一つである、あくまで「被害者」という偶像を出汁にして、自己が他者への加罰権を得ようとする恐るべき手合いこそが真のアジア理解を阻む者達なのである。

さて紹介はここまでにしておきますが、実際に手許におきまして一読されましたら裨益すること大きなものがあるのは間違いない著作ですので、時間に余裕がありましたら一読されることをお勧めしたく思います。
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読書録其の6(近くて遠い外国) 

書名:朝鮮民族を読み解く
著者:古田博司
出版社:ちくま書房(ちくま学芸文庫)
価格:(金950円 + 消費税)
刊行年:平成21(西暦2009)年 第三刷


我国において外国を知るというのはなかなかの難事となっております。この原因は様々ですが、大きな要因として「まずはじめに好悪ありき」の姿勢で外国を見ようとする傾きがあるためと考えております。そのため時には外国のある要素だけを見て褒め上げるか、反対に嫌悪するかという極端に揺れる為に、外国理解がいつまでも皮相に終る悪循環に陥っているように思えます。今回紹介しますのは、朝鮮に対して好感を持つ著者が上記の両極端に陥らず外国としての朝鮮を見ている貴重な著作といえる内容です。

※():私注となります。

それではそのさわりだけを、いつものように紹介いたします。
・システム(※朝鮮社会)が不安定なので、彼ら同士ですらいつも不安で、ピエタス・インプット(※情注入)で休むいとまがない。韓国人は毎日たくさんの人に会う。用もないのにやって来ては茶を飲み、ともに食事をする。消化しきれず、いきつけの喫茶店に全部個別の知合いを集めておいて、ボックスを飛び回っているものもいる。Aの人が終ったらBの人のボックスに移り、つぎはCの人へと移っていくのである。蜜なき里の蝶の乱舞である。(P.20)

・宗族とは男子の単系血族のことであり、それは祖先発祥の地(本貫)を冠した同族名で示される。(中略)本貫が異なれば、同姓の李氏であっても異族であり、族間に婚姻の禁忌はない。しかし同じ宗族のなかの男女はどんなに遠縁でも結婚できない。同じ男性の族祖から発した単系の血族とみなすからである。(P.20)

・ここでは朝鮮民族の親族構造として宗族という用語を広義に用いるが、真に機能しているのはその下部単位の門中あるいは堂内(四代祖を同じくする血族)であるとういうことを前提にして話を進めたい。(P.24)

・以外に思われるかも知れないが、韓国人はわれわれ日本人や老練な中国人に比して、驚くほどおおらかで、そして単純なのである。(中略)つらい歴史だったのだから絶望して当然だと、絶望の押売りをする日本人までいる。しかしそれこそ余計なお世話なのだ。最後には俺たちが可哀そうな存在だとでもいうのか、と怒りの言葉が投げ返されたりもする。(中略)もちろん一方では笑い飛ばせなかったものもいた。この人たちはどうしたか勉強して、理論武装したのである。眉間にしわをよせ、頭のなかに詰め込んだ思いを声高に相手に押しつける韓国人のもう一つのタイプ。(P.32~33)

・(※北朝鮮の)山里離れた僻境である。このようなところに招じ入られたなら、先方があらかじめ当方を隔離・教化のつもりであることを覚悟しなければなるまい。朝鮮民族の教育熱心さというのは、韓国でも名高ように、自由な教育のことではなく、過激な既存概念の注入そのもののことである。(P.54~55)

・実は朝鮮半島居住の朝鮮民族では、接待業は賎業なのである。韓国の場合、食堂、床屋、酒場などはとりわけいやしまれる。(※序列は食堂>床屋>酒場>旅館)(P.62)

・いまだ変わらないものといえば、ウリの健全さである。それは壊れる様子を見せるどころか、経済が沈滞するようなことがあれば、あるいは政治的混乱がふたたび訪れるようなことがあれば、たちまち亀の甲羅に身をすくめるように、外縁部からおのれを切り捨てて行くであろう。知人(アヌン・サラン)、同郷同学(トン・チャン)、宗族(チャン・チン、同本同姓血族)、門中(ムン・チャン、分派祖血族)、堂内(チバン、四代祖血族)へと、それは縮むであろう。この縮む過程は、まったく社会的危機に対応しているであろう。(P.86)

・「したくない仕事」をプマシでするということはすでに好意であり、これは今までの庇護に対する感謝以外の何ものでもないのである。(中略)しかし韓国人は、そもそもこのような知人関係、とりわけ恩恵と庇護の関係で、無理だとか、できないとは情からして断じて言えないのである。そこで正直に嫌だけとします、と決然というのである。(中略)重すぎるほどの負担を避けるという点で、現今ではお返しその場その場で実にまめに行われるし、頼み事は双方が互いに状況を見て、重すぎればさっと引けばよい。これを見て韓国人は、日本人はドライだというのである。なぜならば、韓国人はここでさっと引けば関係が終ってしまうため、あくまでこの窮地に踏みとどまろうとするからである。(PP116~118)

このように興味深い記述が続きますので、もし朝鮮について理解を深めたいという希望をもたれる人がおりましたら、一読をすすめたい著作です。そして外国を理解するということは好悪を持つためではなく、相手との無用なる摩擦や諍いを減少するために力を発揮することが出来るのだという考えを、理解できるようになるキッカケになると考えております。

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