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読書録番外編(独断と偏見の「戦争論」の読み方)  

先日のことですが、レイモン・アロン『戦争を考える』を一読しまして、大いに啓発されるところがあり、わたくしなりに幾度か読んだクラウゼビィッツの『戦争論』についての読み方を暫定ながらまとめてみようと考えてここにそのノートを書き連ねる。

私なりに『戦争論』を読むにはいくつかの段階を経た方がよいように考えている。まず一番目になすことは数多ある解説書などは一切読まずに、『戦争論』(勿論邦訳で良いが邦訳者の解説も飛ばすことを忘れずに)を一読してみると良いと考える。この段階で「戦争論を理解した」などど言う人が多いが、わたくしの経験ではそれは誤解と誤謬の最たるものだと判断して差し支えない。第一・八編とその間の編の溝に気付かないで済ませるわけにはいかないし、また間の第二~七編にしてもどうも戦術と戦略を用いた説明にしても何か違和感を覚えないではいられないからである。

この疑問については、前者は「戦争と政治の関係の曖昧さ」と後者「戦争におけるその様々な軍事思考水準の整理不足」によるものだと理解している。まず後者については、片岡徹也『軍事の事典』が近年における名著でありhttp://cosandou.blog100.fc2.com/blog-entry-2.htmlをこの書を精読されると図形問題に取組む際に至便な補助線を与えられるような感じとなる。この段階で再度『戦争論』を再読すれば第二~七編の概念上の混乱を大きく減殺され、その記述の興味深い点が露わになると考えれられる。ただしこの段階で注意が必要なのが一点ばかりある。それは以下に挙げるようなカモン氏のような理解をした場合である。

彼の作品は、『法の精神』とまったく同じ性質のものであり、一気に呑み込もうとしても駄目で、書かれているがままに断章ごとに考察しなければならない諸理念の驚くべき積み重ねである。(レイモン・アロン『戦争を考える』p.458)

残念ながら『戦争論』は著者が本格構成を成し遂げる前に死亡しているが、その段階であっても一冊の構成された書物として著されたものであり、間違っても「格言集」の類ではないことだけは頭に入れておく必要がある。その思考の礎ともなっているのが第一・八編であるので、第二の再読段階ではこの点を頭に入れて『戦争論』読むと興味深い記述を見出すことができるであろうと考える。

そして、「戦争と政治の関係の曖昧さ」であるが、クラウゼビィッツの念頭にある政治とは、ある共同体のなかのあらゆる人々の利害関係の管理者としての政治を前提としている点ということである。これをより良く掴むためには、わたくしにはガエダーノ・モスカ『支配する階級』が恰好の書であり一読されると、管理者としての政治という意味を深く理解することができると考えている。そしてその見地をよりよく理解した段階で『戦争論』を再々読することが適えば「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」という有名な言葉の意味を漸く理解できるようになるのではないかと考える。

蛇足ながら理解がこの段階に達することができた人は、巷の文民(現役軍人と宗教者を除く)がクラウゼビィッツを振り回して「政治に軍事は従属する」と得意気に説教する姿を見るのが苦痛になるのではないかと愚考する。クラウゼビィッツの考えを究極につきつめていけば総ての政治行為の自由と責任は文民側にあるということであり、その共同体の愚行も失敗も錯誤も、はたまた滅亡までをも含めて総て文民側が担わなければならない責任なのである。そして今の我国でもそうであるが、デモクラシーの世では、これは国民自身がその任務を引受けたことを意味するのであって。戦争や軍事に無知を振りかざして平和なる言葉を連呼して安楽椅子に座ることなど到底おぼつかないということを、嫌でも自覚させられるのがクラウゼビィッツの『戦争論』という書物なのである。
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読書録其の30―2(英国海軍思想の我国の知られざる山脈その2) 

前回より間が空きましたが、再びコーベットの紹介をしてまいります。

・(※海軍の恒久的な海上優勢状態の場合)しかし、敵は戦争問題に影響を与えるほど重大な海上貿易と海外作戦を支障をもたらすことはできない。敵は、実際の戦略分野からなくなるほどの危険と災禍の覚悟を別にすれば、貿易(※軍事力維持の要たる財政の源泉)と作戦を続けることができない。言い換えれば、それは、敵が、もはや有効に我が通航と輸送線を攻撃できないし、自分自身のためにも使えないか、守ることもでいないということを意味している(PP.95~96)
→こうした輸送アクセスの面が抑えられた場合は「バアーシー海峡」の悪夢状態に陥るということか。

・この優勢な程度と分布は、一般的に計画が防御又は攻勢の観念に左右される程度による。一般的に言えば、優勢な側の利益は、未確定の状態を終らせるためにできるだけ早く決定しようとする。反対に、弱い側は、概して、挽回するため、小規模作戦、戦争の機会、新戦力の育成によって可能になるという希望で決定を回避、又は延期しようとする。(※中略)この誤った概念(※海上の防御は劣性側の災い)は、最初から攻勢を正当化する十分な海軍戦力を平時から整備することを国に勧める筆者(※マハンも当たる)によって防御の欠点を主張することから生じたようである。(PP.96~97)
→結局、我国の帝国海軍は如何なるときでも、マハンに代表される攻勢第一主義に思考を縛られた挙句、徒に米国に「海上優勢」を確定させてしまう自爆行為をなしたのだと理解できる。

・長所としての集団の観念(※艦隊戦力を一点に集中する)は、戦時ではなく、平時に育てられる。それは戦時において敗北を与えようとするよりもむしろ避けようとする慎重な観念を示している。真実、集団の支持者は、目的が圧倒的な敗北を与えるというもっともらしい概念で自らの立場を固めている。しかし、これは平時の観念である。戦争は、勝者が勝つだけでなく、努力するということを徹底的に証明した。彼らは、一般にすくなくとも明白な分散を伴う大胆な戦略的組み合せによる努力をしなければならない。(PP.123)
→コーベットはこの海軍の分散と集中を効果あるものとする交通コミニケーションの担い手として「巡洋艦」をその主軸とすえている。これによりコーベットは対敵の交通アクセスの積極妨害(※クラウゼビッツ流に表現するならば相手の摩擦を増大させる)と我が方の交通アクセスの円滑化に帰することを前提としている。そのため通信によるコミニケーションの意義について著作ではかなりウエイトを占めている。

・我々が求める分散の程度は、敵が我々の海洋利益及び利益の拡散に沿う海岸線の拡張に対して行動できる海軍基地の数に比例する。我々が常に求める古い伝統の土壌から湧く原則は、単に我々の心を打つ敵を防ぐためだけでなく、敵が何かをしようとするときに打つことである。我々は敵のあらゆる試みに対して反撃のための機会をつくられければならい。(P.139)
→つまり日露戦争のように、集中化が可能なのは露国のように太平洋側に海軍基地の数が極度に少ないという前提によりなりたつのであり、海軍基地がそれより遥かに多い米国に対して同じような「集中決戦方法」を選択するのはむしろ相手側の企図を放置する結果になってしまうということか。

さて今回まこれまでとし、また日を改めて紹介の続きをしたいと思います。

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読書録其の30―1(英国海軍思想の我国の知られざる山脈) 

書名:戦略論体系⑧コーベット
編著:高橋弘道
出版社:芙蓉書房出版
価格:(金3,800円 + 消費税)
刊行年:平成18(西暦2006)年10月 初版

我国では名前もほとんど知られていないコーベットの思想の一端を覗くことのできる書物です。我国で海軍思想というとマハンの知名度は群を抜いているものがありますが、コーベットの思想については知名度は皆無というのが我国の現状であります。マハン理論の制約を知らずに我国ではこれを徒に拝跪する人々が多いなかで、コーベットの思想なるものがどんなものかを知ることは裨益することが多いと思います。

さて、それではいつものように紹介をしていきます。
(※):私注となります。

・もしその時代、戦争の実施が変化したとしたら、戦争が他の時代、他の条件で再び変化するということを推定しなければならない。これを認めないで、かつて行われた戦争すべてを網羅しない戦争理論は、いやしくも理論ではない。もし戦争理論が実用的指針として使われるならば、自らが証人となって敵対行為の極端な現象だけでなく、過去に生じ、あるいは将来に繰り返される現象を網羅し、説明しなければならない。(P.29)
→マハンの問題点はまさに「史論」であって、戦争理論では無いということを端的に表現している。実際にマハンの論は陸軍不信を背景とする米国政治状況と、「帆船機動>>陸上機動」を大前提とせねば成り立たないからである。

・防御は、活動を制約する条件であって―――単なる休憩の条件ではない。その本当の弱点は、もし過剰に長引けば、攻勢の精神が死ぬことである。これは非常に重要な真実であるので、攻勢を強要することに熱心な権威者(※マハン含む)は、誤った格言「攻撃は最大の防御」を模倣する。ここで再び防御は馬鹿げた臆病で、常に敗北をもたらし、「軍人精神」と呼ぶものが、攻勢を取ること意外に何も意味しないという素人っぽい考えがある。(P.38)
→よく「帝国海軍はマハンの精神を忘れた」という御仁がいるが、防御ということに対して著作で退嬰という価値判断を下したマハンを素直に読めばむしろ帝国海軍のような思考形式をとるのは自然の成り行きなのである。

・最後の提案―――制限戦争は島国又は海によって隔てられた国家間に唯一永久的に可能なものであり、その国家が限定戦争を望んだときのみ、遠距離の対象を孤立化させるだけでなく、本国領土攻略を不可能にする程度に制海権を獲得するときに限られる。(P.56)

・最も明白かつ単純な形式で表しているものは、疑いもなく最近の日露戦争である。これは、小国が大国の「打倒」なしに大国に意思を強いた顕著な事例である―――すなわち、大国の抵抗力を粉砕(※敵戦力の完全撃滅)することなしにである。それは完全に日本の力を超えていた。明白な事実は、大陸のどこででも、敵の打倒が唯一戦争の正当な形式として見なされ、敵対行為に訴える日本の行動は、狂っていると見なされた。唯一英国だけが、島国がより低次の手段で達成した伝統と本能で、日本に合理的な勝算があると考えた。(P.74)
→つまりロシア皇帝の「戦争にならない」という考えは、当時の大陸諸国の尋常な意見で見ればロシアと勝負にならない日本は最後にはロシアに屈服すると認識していたということか。

・(※「制海権」が領土占領と同一の効果を持つという考え)その類推は、二つの理由で間違っている。その双方が、物質的に海軍戦争の実施に入る。少なくとも領海の外では所有権がないため、海を占領できない。(※中略)なぜなら占領した領土でできるように海で中立を排除できないからである。第二に敵の領土でできたように、軍隊を養うことができない。明白に、そのとき、制海権が領土の占領に類推する仮説から演繹することは非科学的で、確実に誤りに導く(※中略)言い換えれば、公海が国民生活に持つ唯一肯定的な価値は、交通の手段としてである。国民の実生活にとってこの手段は、多少とも、海洋国家にとっては価値がある。敵にこの通航手段を拒否する結果、海上での敵の国民生活の動向を点検できる。それは敵占領地で点検できるのと同じ方法である。そこまではいいが、それ以上はよくない。(PP.83~84)

・それ(※戦争が、完全に軍隊や艦隊間戦闘から成り立っている観念)は、戦闘が、本当に戦争を終わらせ、市民とその集団生活に圧力をかける唯一の手段であるという基本的な事実を無視している。ゴルツ将軍は、「敵主力軍を破砕した後、分離して講和を強いることが、ある状況で、より困難な仕事は……敵国が戦争の負担より講和の方がましだと感じるようにさせることである。これはナポレオンが失敗した点である……港、商業センター、重要な交通線、要塞、そして軍事施設を奪取する必要がある。言い換えれば、すべての重要な財産は、国民と軍隊の存在に必要である」と言う。そのとき、もし海上での類似の手段を行使する権利が奪われれば、戦闘を戦う目的はほとんど存在しなくなる。敵の艦隊を敗北させたとしても、敵は少しだけ悪くなるだけである。(P.88)
→マハンの『海上権力史論』を通読すれば気付く点だが、マハンの論には艦隊決戦に勝利すれば自然と海上優勢を得られるという前提が存在している。一見ロジスティックに言い及んでる部分があるとしても、それは前記の前提を怠ったペナルティを論じているのである。コーベットが指摘するように物理・非物理面のアクセス手段を制することが出来なければ、艦隊決戦に勝利する海軍を作り上げてもその海軍は戦争に対しては意味の無い集団に陥ってしまうのである。

興味深い内容がおおいので今回まこれまでとし、また日を改めて紹介の続きをしたいと思います。

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読書録其の28(『戦略』の入門指南書その二) 

書名:名著で学ぶ戦争論
著者:石津朋之
出版社:日経ビジネス人文庫
価格:(金762円 + 消費税)
刊行年:平成21(西暦2009)年11月 2刷

以前紹介しました、読書録其の26(『戦略』の入門指南書その一)
http://cosandou.blog100.fc2.com/blog-entry-39.html
上記の本を書く基礎となる各々の時代の「戦争論」の古典名著を紹介する良好なブックガイドというのが本書の位置づけとなります。さて、それではいつもの通り紹介をしてゆきます。

(※):私注となります。

・また、本書(※トルストイ『戦争と平和』)を読めば、青年将校のアンドレ公爵の言動や思索を通じて、当時のロシア上流階級の若い男性の間で、名誉心、忠君、勇気、礼儀などを重んじる騎士道精神がまだ色濃く残っていたころがわかるし、彼らにとって戦争とは頭から否定して忌み嫌うものではなく、退屈で単調な日常生活からの逃避を約束するものであり、さらには個人の名誉や将来の出世を叶えるための場でもあった事実が知れる。(P.68)
→これは、第一次大戦時の英仏独の将兵にも当てはまることでもあった。

・ここで重要な点は、クラウゼヴィッツが提示した「絶対戦争」とは、あくまで一つの理念型であり、実際、以下で紹介するように彼は、政治という要素との関連でもう一つの理念型である「制限戦争」の重要性を強調している。(P.74)
→クラウゼヴィッツの「絶対戦争」という概念を、プラトン流の「イデア」かアリストテレス流の「エイドス」と捉えるかで大きく分岐するところであるが、「戦争は異なる政治の延長」という文句を斟酌するとクラウゼヴィッツの「絶対戦争」というのは、後者に近い概念ではないかと理解している。

・加筆した「エピローグ」の中でハワードは、先制攻撃に象徴される昨今のアメリカの安全保障政策に対して大きな懸念を表明しているが、おそらく彼の懸念の根底には、戦争の勝利の後にあるべき秩序に関する不安があるのだとう。誰が戦争後の新たな秩序(※ハワードは『平和』というものを、人為による秩序の構築及び維持活動と認識している)を「警備」するのか、また、アメリカや西側諸国にその意志と覚悟があるのかといった不安だ。なぜなら、戦後によって創造された平和(=秩序)は維持されなければ意味がないからである。(P.94)
→アメリカという国家には、「デモクラシー」であればやがて人々が協力して秩序の創造及び維持をするという基本思考体系を前提とするため、自己が介入した地域に対して「デモクラシー」以外の秩序維持体制を容易に破棄してしまう傾向があり、その地域を意図せず混沌状況にしてしまうのである。

・しかし、ブロディは、戦争において軍人は政治目的を達成することではなく、勝利することを最大の目的としているため、戦略の立案には不向きであると断じる。また、軍人は戦争がもたらす政治的な影響を考慮に入れず、組織利益に影響される傾向が強いとも指摘しており、軍人の主張する「軍事的判断」は、必ずしも信用できないと批判する。(PP.112~113)
→ここでの「戦略」というのは、戦争の基本方針部分にあたる「大戦略」を主に指していると理解している。

・コルベットはクラウゼヴィッツと同様、戦争を他の手段をもってする政治の延長とみなしていた。しかし、海軍力のみで戦争に勝利することはほぼ不可能と考えた。人間は海上で定住することができないため、戦争は必然的に陸上で勝負がつく。だが、海軍力だけでは敵の陸軍力を破壊することは不可能であり、陸軍と協力することによってのみそれが可能であった。そのため、コルベットにとっての海軍戦略とは、陸軍との関係において海軍力が果たす役割を決定するものであり、戦争全体の戦略の一部としてとらえられるべきものなのである。(P.183)
→我国ではなじみの無いコルベットであるが、論が飛躍しているマハンの「海上権力史論」を冷静に捉えなおす際に大いに参考となる考え方である。

・ルトワックは、戦略には技術、戦術、作戦、戦域、大戦略という五つの「垂直的」なレベルが存在すると言う。これらのレベルは階層構造を成しており、最終的な軍事行動の成否は、大戦略のレベルで決定されることになる。しかし、下位レベルから順番に成功すれば、大戦略のレベルで必ず勝利が得られるわけではない。(P.226)
→ベトナム戦争の米国、第一次大戦のドイツ、第二次大戦の我国ともに下位レベルでの成功は多かったものの大戦略での成功にはつながらないことがあった。

・しかし、本書(※『Military Power』)でビドルは、湾岸戦争の勝利に対する先進的な軍事技術の役割は否定しないものの、技術は近代的システムの効果を増幅したに過ぎないと述べている。また、近代的システムの導入には技術よりもむしろ訓練、ドクトリン、組織などの非物理的要素が重要であり、技術を過度に重視する現在のRMAの議論は本質を見誤っている、とさえ主張している。(P.279)
→どうしても、我国では兵器自体やカタログ・スペックについての軍事談義が盛んになりやすいが、「システム」としての軍事力を捉えるならばこうした非物理要素に重きを置く必要があるのではとかんがえさせられる。

本書は簡潔ながら、紹介された著者の文献を実際に読みたい気分を抱かせてくれるという点で、好著であり一読して裨益することが多い書と思います。難点があるとすれば、紹介された本の半分近くが翻訳されていないため、原著を取り寄せて四苦八苦してでも読みたいという欲求を抑えがたくなることです。

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読書録其の26(『戦略』の入門指南書その一) 

書名:戦略原論
編著:石津朋之・末永聡・塚本勝也
出版社:日本経済新聞出版社
価格:(金3400円 + 消費税)
刊行年:平成22(西暦2010)年5月 1版1刷

我国では「軍事戦略論」を銘打った書籍は数多く出版されておりますが、それらの戦略が国家政策とどう関連しているのかを論じた入門書となると数が少ないため、戦略を学ぼうとする入門者には敷居が高いというのが偽らざる我国の現状です。こうした現状を改善するための試みとして、本書が出版されたのは喜ばしく思っております。

さて、いつものように紹介をして参ります。

(※):私注となります。

・(※エドワード・ルトワックは、戦略を技術、戦術、作戦、戦域、大戦略を定義)そして、いかなる軍事行動の結果も究極的には大戦略レベルによって判断されるものであり、たとえ戦域レベルで軍事的に敗北しても、外交交渉によって大戦略レベルで最終的に勝利することもあり得ると主張したのである。つまり、いかなる戦略であっても大戦略のレベルにおける成功を追求することが最終的な目標であり、戦略研究も当然ながらその目標を意識したものとならざるを得ないのである。(P.3)
→我国では、どうしても思考方法に「現場で臨機応変」を重要視する傾向を持つため、下層レベル(たとえば作戦レベル)の努力で上層レベル(戦域レベル)の失点を挽回しようとして無理をし、自己を窮地に追いやってしまう。

・今日の一般的な理解とは逆に、当時(※第一次大戦前)、機関銃や火砲に代表される新たな兵器のもたらした影響については十分に研究されており、これらの兵器から生じる犠牲について幻想を抱く論者などほとんど存在しなかった。(P.24)
→よく第一次大戦では欧州各国の軍人を日露戦争の意義を理解していない「愚物」として描こうとするが、そういう批評をする人々は当時の軍人が日露戦争を研究した結果として「攻勢に出なければ勝利を掴むことは出来ない」という認識を持ったことを無視するという錯誤を犯している。

・さらにジョミニは、いったん戦争が生起した場合、軍人が政治家に対して優位に立つべきであると主張したが、これは、彼の「科学的戦争観」を見事なまでに表している。ジョミニにとって政治と軍事の関係性で重要なことは、有能な指揮官が選ばれ、その指揮官が科学的な原則に基づいて自由に戦争を指導することであった。(P.71)
→クレマンソーの警句は上記のジョミニに対する反語表現ということなのか

・軍と社会の分岐は、上流家庭の子弟や高学歴の青年が軍に参加しなくなる傾向を強め、また軍隊の孤立化をさらに深めさせ、政軍関係に悪影響を生むのではないかと考えられた。現在のアメリカでもその問題は解決していない。(P.194)

・だが政策を競い合い、資源のパイの分割を競い合う3軍関の競争は、戦略から資源配分、戦争の方法に至るまで政治に代替案を提供し、軍の団体性を希釈することで軍の抑制に資する。3軍間の競争は、一見効率性を害してコストが高いように見えて、競争不在の融和状態から生じる潜在的なコストに比べれば、まだましなことも多いのである。(P.203)
→上記の問題点は、平戦時を問わず政治側が3軍間の利害調整に対して『裁定者』としての立場で振舞える一定の統一性を維持出来るかに尽きることである。もし、政治側が分裂していれば希少な資源を蕩尽する危険性が高くなってしまう。

・基本的に何か行動しようとする人間が、自分で情報分析を行い出すとなかなか上手くいかない。なぜなら分析の訓練を受けていない者は、何らかの行動を行う前提で情報を取捨選択するからである。これは一般的に「情報の政治化」と言われる問題であり、詳しくは後述するが、とにかく作戦を立てる部局が作戦のために自ら情報分析を行っても、それは客観的な判断にならないことが多いということである。(P.307)
→実施をする側は「必要性」の価値判断に重きを置くために「可能性」を等閑視もしくは軽視する傾向を有するということか。

・情報収集で重要なのは、どれほど決定的に見えるデータでも、それのみで決断することは危険であるということであり、インフォーメーションは他の手段で収集されたインフォメーションと突き合わせることで、その重要性が認識されるのである(収集の相乗効果)。(P.320)
→但し、正反対の情報によって正しい情報の重要性が希釈される危険性(例:独露戦争開戦時のロシア側の不手際)があることを念頭に置く必要がある。

・例えば冷戦期、アメリカの情報分析官たちはソ連のクレムリンには「ハト派」と「タカ派」がおり、ソ連の政治家がどちらに属しているか議論していたが、そもそもクレムリンにはアメリカ流の「ハト派」も「タカ派」も存在せず、分析官たちは自国の政治システムを前提にして議論を行っていたのである。(P.330)
→現在においてもこの傾向は相変わらずで、米国の北朝鮮や中共の政治権力分析において全く同様な錯誤を犯しているのを散見する。

・国家は、自国が国際法を守らなければ、相手国が国際法を守らない場合にこれに抗議することができないため、国際法の不順守が自国の不利益となる。逆に、自国が国際法を守ることは、他国に国際法を守らせる上で重要な梃子となり、国家利益にも適う。(P.425)
→これには、重大事が二つ含まれている。一つは「出来ない約束」をリップサービスの気持で条約に署名することは絶対してはならない事。もう一つは国際法を決定する場とは、如何にその国際法(ルール)が自国有利になるようにするための「干戈を交えない戦いの場」であると認識することである。残念なことに我国では、この要諦を理解していた東郷提督のような人物が「老いた好戦国家主義者」扱いされてしまう悲しいところがある。


「戦略の教科書」を目指した本書の目的を果たしているかは、本書を読まれる方にお任せするとして、私としては本書の各章毎に付けられた丁寧な読書ガイドが、各章の議論を深く理解するのによい案内書としての価値を有していると思います。

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