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読書録其の35(人間は戰爭を捨てられない)  

書名:戰爭は無くならない
著者:松原正
出版社:地球社
価格:金2,100円
刊行年:昭和62年4月20日 二刷
(※)は私注

 今囘の讀書紹介はこちらの本となる。兔角日本に於てはこの手の話題は平和萬歳主義者であれ自稱現實主義者であれ思考停止しがちな戰爭について人間がどのやうに扱つてゐるかを正面から論じた著作である。いつもの通りであるが私が興味を抱いた箇所を紹介してゆくことにする。

・とまれ、防衞について語る段になると、保革の別無く、識者は必ずと言つてよいくらゐ「平和はよい事に決まつてゐるが」云々と言ふ。だが、平和はよい事に決まつてはゐない。二千八百年昔のアッシリア時代からこのかた、軍縮會議が實を結んだ例しは無いが、それはつまり二千八百年もの間、人間が平和を「よい事に決まつてゐる」とは考へなかつたといふ事である。そしてそれが何とも愚かな所業であつたとしても、二千八百年も愚かだつた人間が、どうしてこの先賢くなるであらうかと、「正氣の人間ならば」さう考へるのがたうぜんではあるまいか。(P.8)

 「平和はよい事に決まつてゐるが」と言ふのは、己の「平和」と云ふ言葉に樣々な意匠を施した、浪漫溢れる觀念としての平和を全く疑つた事がない怠慢に他ならないのであらふ。

・では、人間をして人間たらしめてゐるものとは何か。「正義とは何か」と常に問はざるをえぬといふ事、そして、おのれが正義と信ずるものの爲に損得を忘れて不正義と戰ひたがるといふ事である。(※中略)それゆゑ、人間が萬一、いかなる場合にも戰爭をやらぬといふ事になつたら、その時、人間は正邪善惡の別を全く氣に懸けぬ動物に墮してゐる事であらふ。(※中略)だが、人間は動物と異り、名譽だの眞理だの正義だのを氣にせずにはゐられない。それゆゑ人間は動植物や無機物よりも優れてゐるのだと、さういふ事が私は言ひたいのではない。正義を氣にせずにはゐられぬといふ人間の特質ゆゑに、人間だけが同類を殺すのだといふ事が言ひたいのである。(PP.14~16)

 私はこの意見に全く同意である。そして何故クラウゼヴィッツが戰爭論に於て個人間の決鬪を以て戰爭の本質を説いたのかも漸く理解することが出來たのである。人間が不正義には我慢など出來ぬといふことを、そして、その結果がどんなに暗澹たるものであるとしても人間が戰爭を手放す事が出來ないといふことを、あの知性勇氣感情の三位一體として表現したと云ふことをである。

・だが、捕へた鼠を猫が弄ぶ場合、猫は鼠の恐怖を想像して樂しむ譯ではないが、甚だ厄介な事に、人間の場合は相手の苦しみを想像しうるがゆゑに、相手を苦しめて樂しむといふ事がある。他人の不幸を樂しむ、それは人間の性なのであり、人間ほど殘忍な動物は無い。論より證據、どんな同情心の篤い人でも、いや同情心の篤い人ほど、例へばアウシュビッツにおける殘虐行爲の記録を讀み、許し難きナチスの非人道的蠻行に憤慨すれば、アンソニー・ストーが言つてゐる樣に、「他人に拷問を加へてゐる者たちに、彼等がしてゐるのと同じ刑罰を加へてやりたい」と、吾を忘れて口走りたくなるのである。(P.33)

 普段は正義の危險やら相對性など説いた人士でも、この手の殘忍さを發揮しないといふ人間はゐないと私は見てゐる、この一年程度ですら遙か遠くの小學校の集團暴行の理不盡を述べる人も、東京電力の「惡」なるものを糺彈する人士も、この手の殘忍なる欲求を口走る姿は何處にでも見られたものだからである。

・要するに、無暴力を標榜する平和主義者は、「讓歩してはならない」とか「許されない」とかいふ類の大見得を斷じて切つてはならないのである。平和主義者は常にかう言ふしかない、「正邪善惡なんぞどうでもよい、自分は他人の言動をすべてを認め、いかなる虐待をも甘受する、それゆゑどうか私に構はず放つておいて貰ひたい、私は長生きをしたい、私の娘にしても、ソ連兵の妾になつてもよい、せいぜい長生きして欲しいのだ」。(P.53)

・「最も正しい」戦争さへ憎悪するのだから、正邪善悪の別は問はない訳である。それなら、正からうが正しくなからうが、他国の、或いは他人の、言動の一切を承認せねばならぬ筈である。しかるに愚鈍なる平和主義者は、矛盾を矛盾と感じないから、そしてまた、人間誰しも良い恰好したがるものだから、おのれが不正と見做す事柄について、うかと「許されない」などと書いてしまふ。或いはおのれが正しいと信ずる事柄について、つい「せねばならぬ」などと書いてしまふ。(P.56)

 主義とは何かと考へれば、ある考へ方に一つしかない己の命を懸ける態度に他ならないものであらふ。それ故に「平和主義」と云ふ言葉はナンセンスにしかならない、すべての考へ方よりも己の命を優先する態度から主義など生じないからである。若しそれが成立つなどと考へてゐるのなら、それは平和といふ言葉に中島敦の言ふお洒落烏のやうな細工を施してゐるか、鵺のやうな觀念の化物を扱ふのに無頓着なだけなのであらふ。

・要するに、正義とは何かといふ問ひくらゐ厄介な問ひは無いといふ事なのだが、この難問に挑んで先哲が悉く挫折したのは、力こそ正義であるといふ事を、即ち「戰爭で勝つのは正しい者ではなくて強い者だ」といふ事を、どうしてもそのまま認める氣に成れなかつたからである。(P.75)

 何故に認める氣になれないか、それは人が正邪善惡を氣にしなければ生きて行けない本性を持つためである。それが無くなれば人間は忽ち人間以外の存在に成り果てるしかないからに他ならないのである。

・即ち死は吾々にとつて「最大の善きもの」かも知れないのだが、吾々は皆、死が「最惡のもの」であるかの如く思ひ込み、死者を哀れみ、死神を恐れるものであつて、それは「知らない事を知つてゐると思ふ事」に他ならず、まことに嗤ふべき迷信ではないかと、ソクラテスは考へた。知らぬ事を知つてゐるかの如く思ひ込むのは知的怠惰である。死に關する知的怠惰は致し方が無いとしても、吾々は死を恐れるが如くに侵掠戰爭を恐れてゐる。(P.85)

 欧州中世の贖宥状を売り出した聖職者を非難し、我国の一向宗の極楽浄土を迷信と非難する人間は掃いて捨てる程ゐる。しかし不可思議な事に、彼等は現代でも全く不分明な死を、まるでわかりきつた如く断ずる杜撰な平和主義者達を全く非難出来ない有様をみれば、昔の人間を迷信に取りつかれた人間などど言ふのが如何に思い上りの最たるものかと理解できる。

・弱者は衆を恃み、平等に所有する事こそ正義だと主張し、法律や習慣の力を借りて強者を縛らうとしてゐる、だが、強者は常に、ピンダロスの詩にもあるとほり、「非道の限りをなしつつも、至高の腕力によつて、非道を正義に」するであらう、さうカリクレスは言ふ。(※中略)強者は常に「自分の利益になると思つた事柄」をなすのであり、「実際に利益になるかならぬかは問ふことろではない」のである。(P.113)

 日本に於て現實主義だらうが、平和主義だらうが矢鱈に目につくのは、勝手に自分の言ふ利害得失なるものを論じて、その最後に「したがつて相手は損な事はしない」などと斷言する。相手をまるで己の傀儡とでも言ひたげな獨善を表明すること自體が、如何に思考怠惰に陷つてゐるかを無殘にも晒してしまつてゐる。

・人間とは何と厄介な生き物であらふか。ベルジャエフが『人間の運命』に書いてゐる樣に、人間は道徳的義務に忠實たらんとして却つて殘酷になるのであり、さういふ殘酷を失ふときは、嚴しい道徳的感情をも失つてしまふ。(※中略)人間は殘忍であつてはならないと、吾々は氣安く言ふが、宗教的であらふとしても、道徳的であらふとしても、人間は殘酷にならざるをえないのである。(P.131)

 人間は常にこの厄介な性質を抱へてゐるのを承知しておかないと、自分の中にある殘酷さを直視出來なくなり、自己欺瞞に陷るしかない、その場合に人間が何をしでかすかと言へば、相手を無價値のものと見做し、徒黨を組んで陰慘な私刑にするのが常態となるであらふ。

 本書は人間と戰爭に就いての極論である。それ故に問ひは眞摯なものである。その問ひかけに眞向から受止める氣が少しでもあれば本書は裨益することがあるであらふ。若し小手先の防衞論議をしたいなら、本書は全く役に立たないし時間の無駄に終ることもまた事實である。

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テーマ: 読了本

ジャンル: 本・雑誌

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或る偏屈漢の異見(戦略と倫理) 

 過日上野で開かれた催しのようなものに参加した際に作成した発表用の文章である。備忘録の趣があるが自分の考えを整理するために公表してみようと思う次第である。

 当日の題名で私が選んだのが「そもそも戦争とは一体何?なぜわれわれはそれを戦うのか」というものであった。まず私なりに手を付けたのが戦争の定義である。そこで私は戦争を『我がほうの意志をある政策を以てする、直接・間接なる力を用いることで、相手の意志を屈さしめるんとするある集団間の行為である。』というように定義したのである。

 上記の定義において大事なのは、いままで戦争と倫理を取扱う際にともすれば混乱の原因となった、個人と集団という点を分離することに力点を置き、そして斉藤浩の論文である「権力とは餓死と不慮死の可能性の遠さ」という定義を取り入れて、生物界においての個体完成度においては劣弱なヒトが生み出した社会集団という観点に私は着目したのである。

 人間が社会という発明をしたというならば、それは何を目的としたのであろうか、私はこれは生存を目的としているのだと捉えている。旧約聖書のサムエル前書に王を戴くことを組織と神との契約改定時において、その障害(食糧も子女も良質なるものを差出す上に、その人間にかしづかねばならない)を認識した上でもなお当時の司人(さばきつかさびと)達は、ペリシテ人との戦いにおいて集団の生存そのものが脅かされた彼等が王を戴いたところは実に示唆に富んでいる、また近いところでは明治維新というのもまた我国の生存が海上により保障されなくなった時に発生したというのもまた同様のことであろう。

 そもそもが社会存在としての組織や集団が消滅を目的にすることは無い、あったとしてもそれは西譬におけるように「例外は原則を確認する」というものに収まるものである。そしてその集団という存在を、前記の斉藤浩は「安全・安価・有利」という尺度により行動を規制されるとした。私はこれを前提として生存に対する比重が重い組織が、個人に対する規制もまた大きくなると捉えているのである。これはかつて我国の水利の大字小字の単位となった農村単位と村八分の拘束力は単位内における成員の生死を分けるものであったし、欧州における直接農村経営を実施していた中世の領主や教会の拘束力もまた、司法を決して外部に委託するようなことなどしなかったのである。

 佐原真は古代の戦争を「考古学事実によって認めることの出来る多数の殺傷をともないうる集団間の武力衝突」と定義しているが、ここには人間が社会という発明をなしてから後に戦争もまた発生していることがあげられている。これは戦争が人間社会に内蔵されたと私は考えているのである。ただし人間が発明したものだとして安易に交換可能と思う人士がいるが、それは人間により発明された言語というものが何故交換可能でないかを、真剣に考えたことが無い知的怠慢の輩なのであろう。

 ここで後段の話に入る、なぜ我々は戦争を戦うのであろうかという問いに応えることとなる。つまりは戦争の起源(ここではそれを原因と前置きして議論を進める)についてである、トゥキディデスはこれを「利益・恐怖・名誉」という三面を起源として考えている。これに私は同意した上で、一つ付与するものがあるそれはその頭に「集団の」という文字がつくということなのである。つまり集団の「利益・恐怖・名誉」なのである。

 私は社会集団というのは生物としては未完成なヒトが、創造した仕組みに端を発しているとは前に述べたが、その集団間において当面の「餓死と不慮死」からの生存が保障された場合には、次にあるのが未来の「餓死と不慮死」の間合いを遠くするという行為となるのである。それには集団間内部の規定の改善や手段の洗練がなされるし、その最たるものはといえば意思疎通というのを集団間の円滑化には欠かせない言語が代表されるものであろう。その集団内部間の摩擦を減少させるあらゆる禁忌や推奨の洗練(これはシステムとしての最適化とも捉えられる)を進めた暁には、その集団内と集団外の存在の差を広げるのは火を見るよりも明らかであろう。

 その禁忌や推奨の纏まりを文化(これは教養と世間知という概念と関連性を持つものである)という概念で呼びうるものである。この体系は外に拡大すればするほど集団にとっては間合いが広がるものなので、全く別の社会集団とぶつかるまでは、拡大をするのが「安全・安価・有利」というところから導かれるものとなる。力が強ければ当然その外部集団を飲み込むであろう。それに失敗すれば「危険・高価・不利」となるからである。勿論相手集団が強ければそれが一時の境界線となるであろうが、どちらかの集団の力が隔絶すれば弱体化もしくは強大化した集団の慣性は解体もしくは拡大する方向に向かうのである。

 邪悪な個人や国家やシステムがあるから戦争が起こるとする倫理上の見方には、このどうしようも無い生存そのものを目的としている社会集団のエゴイズムという現実を見落としている。個人はある集団にとっては一部なのであり、断言するが集団から見て戦争には倫理などは存在していないのである。集団としての社会は上記のように集団の慣性で動くものだからである。しかし、蟻や蜂のような高度なる社会性にまで至らなかった人類には、厄介極まる問題が横たわっている。先ほど私は個人は集団の一部と述べたが、逆もまた然りで一方の個人もまた集団に対して自分の一面程度だと認識しているのである。

 個人という存在は突き詰めれば「正義はなされよ、よしや世界が滅ぶとも」という一言に表現されている。そこには組織の生存など全くかえりみないほどに強い倫理がある。その倫理のためには戦争すら全く辞さない人々がかつていたことは、歴史を紐解けば容易に見いだせるであろうし、今においても正戦論は『余人はしらぬがこの吾は』というほどの我をもつ西洋人(日本はここまで我が強く無く済んだのは僥倖といってもよい)においては健在なのである。人間には個人の面と集団の面との2者の間の対峙を内に抱えている。集団としては生存のために戦争を分離するのは無理であるし、かといって個人ももとは集団間の円滑化にあるはずの倫理を絶対化した挙句、その倫理のために集団に強烈に働きかけてその価値を踏みにじる他の集団を加罰して正義が果たさなければ決して満たされないのである。

 もし戦争が無くなるとしたら、私が考えられるのは2つの道である。それは人類が蟻や蜂のように今よりも高い社会性をもつことで、人間の個人領域を縊り殺すか、はたまたドイツのニーチェのように個人が「超人化」することで、人間の社会領域を根絶やしにするかという道なのである。いずれの道も私にとっては、人類は今とはまるで別の生物としかならないように思える。このような世界によって仮に私は戦争が無くなろうと、理想の世界と思うような酔狂な考えは持ってはいないと思うばかりである。

テーマ: 思ったこと・感じたこと

ジャンル: 日記

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読書録其の29(戦場報道の一幕を覗く) 

`書名:戦争報道の内幕
著者:フィリップ・ナイトリー
訳者:芳地昌三
出版社:中央公論新社
価格:(金1286円 + 消費税)
刊行年:平成16(西暦2004)年8月 初版

今回紹介するのは、クリミア戦争からベトナム戦争までの年代における戦時・戦場報道を題材に書かれた書物です。紹介前にこのようなことを書くのは不味いのですが、この書を将来ジャーナリズムを目指す奇特な御仁は読まれないほうが賢明とだけ述べるしかありません。もし仮に内容を良く理解してしまえば言葉は沈黙してしまい望みの仕事に向う意気を挫いてしまうし、もっとありうるのは自分は「過去の教訓を生かす」などど途方も無い言葉の不感症状態に陥る可能性が高いからなのです。

さて、それではいつものように紹介をしていきます。
(※):私注となります。

・(※第一次世界大戦勃発時)ドイツ側は勝利していたし、短かったが戦果を上げている間に、ドイツ軍は中立国記者を前線に行かせ、あらゆる便宜をはかり、実質的に何も書くのも許した。その結果、イギリスとドイツの検閲官が自国民にニュースを開放する何日も前に、中立国の新聞にしばしば戦闘を活写する記事が掲載された。(P.95)
→これは前提として、勝者が中立国に向けての宣伝というのがある。勝者はまさに勝利している事実を掲載させるのが一番宣伝効果があることを良く知るものだからである。

・ドイツ政府は一般市民に犠牲者数を公表せず、アメリカ参戦の影響を過小に、ドイツ資源を誇張(※西暦1916年頃から特に)して発表していたので、ドイツ降伏のニュースはドイツ人には信じ難いものであった。(P.119)
→当時の戦時統制を実施していたドイツ参謀本部とその実質最高責任者のルーデンドルフが「背中の一刺」なる論を述べたのは、自己がドイツ国民を欺瞞していた実態を隠蔽するためだったということが理解できる。

・アメリカ人は帝政ロシアの崩壊をおおっぴらに喜んだ。ロバート・ランシング国務長官は、この戦争が民主主義と絶対主義の戦いであることを肯定するうえでこれまで障害だったものを革命が取り除いたと語った。(P.132)
→アメリカの民主主義なるものが「デモクラシー」ではなく「デモクラシズム」という恐ろしい一面を覗かせる場面である。

・マシューズは三六歳だった。彼は従軍記者の義務と自分の天職に伴う倫理について深く考えていた。「スペイン内戦を生きたわれわれ全員は深く感情的にならざるをえなかった……自分には偏見がないと主張する人びとの欺瞞と偽善、そして戦争を報道する特派員に客観性と公平さを求める編集者と読者のはなはだしいと言わぬまでも、その愚かさに私はずっと気付いていた……これは読者と編集者がいとも犯すありふれた誤りで、人間である以上感情も意見も持っている新聞人を永遠に悩まし続けるものである。(P.185)

・したがって、スティアが最初に行った非難、すなわち同町が軍事目標ではなく、爆撃の目的は一般市民の士気をくじくことであった、というゲルニカ伝説の誕生は、今では矛盾そのものとなった。トマス(※ヒュー・トマス教授)にうよると、爆撃は奇襲ではなく、またサイスワース(※ハーバート・サウスワース教授)によるとドイツ軍が一般市民の士気を試そうとした証拠は何もないという。ゲルニカは、共和国軍のバスク部隊が再編成する恐れのある場所、つまり軍事的目標であったとトマスは言い、またサウスワースは爆撃が戦術的作戦であったと言う。これによって、ゲルニカが特派員たちの産物であったことが明らかになった。(P.205)

・知性とともに熱情を込めて行われる報道の欠点は、その動機が、共和国側の報道が疑いなくそうであったように、基本的に正しければ、特派員は不快な事実には直面しようとせずに、むしろヒロイックな努力として記事を書き、不当な楽観主義によって、読者に思い違いをさせる傾向があることである。この誘惑にはほとんどの者が勝てなかった。(P.217)

・ダンケルクでのフランス側の役割はイギリスでは正しく伝えられたことがなく、当時フランス軍兵士に向けて中傷が行われたことが報道されたが、これらの中傷も是正されることはなかった。(※中略)しかし五万人のフランス軍部隊は、包囲されながらもリールを固守し、きわめて重大な四日間にわたりドイツ軍の七師団からダンケルクを守ったのである。民間の舟艇と漁船から成る船隊を含むフランス海軍は撤退を助け、イギリス海軍とほとんど同数の船舶を失いながら、約五万人の将兵を海峡を横断して運んだ。それ以来フランス側は、この貢献が当時報道されなかったばかりでなく、イギリスの公刊戦史においてもはっきり認められていないと苦情を述べてきた。(P.241)
→ダンケルク撤退時の後詰の行為が曖昧になっているのはこうした事情があったのか。

・今一つの要因は、西側の報道体制が政府の規制から分離しているということがソ連当局には完全に理解できないことであった。(P.267)
→共産圏は平戦時問わず報道部門が政府部門であるのが厳然たる事実であり、そういった国の報道は取り扱いが非常に難しいのである。

・夏季はボートで、冬季は氷上をラドガ湖を横断して食糧が運ばれ、いわゆる「ラドガ生命線」によってレニングラードは救われた。しかしこの生命線は、冬の飢餓によりすでに多大な犠牲が出ていた一九四二年二月になるまで効果的には機能しなかった。(P.277)

・ヘンリー・シュピロは一九七三年まで留まっていたが、その年を最後に四〇年間のロシア報道を終え、アメリカに戻った。彼のロシア勤務についての最終的な意見はこうである。「主張するジャーナリズムを信じる者の働くところではない。片方の立場を取り、感情的に関係するならば、改革運動者のようなものになってしまう。この地は実験室とみなさなければならない。否定、肯定両面を見なければならない。しかし特派員が片方を支持した瞬間、彼は記者ではなくなる」。(P.294)
→そして、この実験は現在進行中の出来事としてシナ大陸で行われている。

・(※国府の)特派員たちは各地の「戦場」視察に出かけ、奪い取った日本軍の銃や装備品の山を見せてもらったが、それらはいつもすべて同じもので、特派員の移動に合わせて運ばれたものであることを特派員たちは知っていた。ある特派員は日本軍の鉄帽に自分のイニシャルを爪でかいて書きつけておき、このことを実証した。これは特派員に見せる証拠の日本兵捕虜についても同様で、再三再四同じ顔が登場した。(P.307)
→国府だけでなく、西暦60年代の中共もまた大躍進時代に同じ農産物を常に移動して「大豊作」の報道をしていることを考えると、現地取材にも細心の注意を払う必要があるということか。

・日本軍がオーストラリアの病院船ケンタウルス号を沈めたことがあったが、これはオーストラリア軍部隊がニューギニアの負傷者がまだ収容されている日本軍野戦病院を破壊したことへの報復であった。この事実はオーストラリア軍情報部では一般的に受け入れられていたが、オーストラリア市民には知らされていなかった。(P.334)

・実際にはアラメイン線など存在していなかったが、特派員のなかには、有名なマジノ線のようにそれがロンメル軍団の進路を横切って伸びているという印象を伝えた者もいた。(P.362)
→戦線というものは、作戦側の理解を促すための補助線に近いものが多数あるということか。

・ある意味でマンローは正しかった。敵を必ず邪悪なものとする必要のなかった戦争では、愛国的な従軍記者は一方に片寄った見方をするようになる。ということは、戦時中の読者はほとんどの特派員の送信した記事を公式コミュニケを読むときと同じ見方、つまりいくらかの疑いをもって見なければならないということである。(P.375)
→これは良く才子が陥る「陰謀論」で見るというより、ごく当たり前のことから物事を検討する姿勢をもつということである。

・(※チャールズ・リンチ曰く)「われわれが戦時中(※第二次大戦中)に書いたものを見直すことは屈辱的なことである。これらの記事はまったくのくずである―――アーニー・パイルやアラン・ムーアヘッドのような記者も例外ではない。われわれは政府の宣伝機関だった。初めは検閲官が強制したのであるが、最後にはわれわれが自分自身の検閲官に成り下がっていた。われわれは応援団員だった。当時はそれしか道がなかったと思う。全面戦争だった。しかし、何としてでもわれわれの演じた役割を美化してはならない。よいジャーナリズムではなかった。そもそもジャーナリズムではなかったのだ」(P.396)
→我国の連合軍占領中の報道検閲体制というのは、戦時中の連合国の検閲体制をそのままに移植したということがはっきりわかる。だが、不可避ともいえるその報道行為をしてしまったと回顧するジャーナリズムなるものは我国ではほとんど見かけない。なんともいえぬ寂寥感を思わせる。

・(※ベトナム戦争時)彼がまだ治療を受けているときに、イギリスのある出版社から手紙を受け取った。「今度こそ永遠に戦争から魅力を取り去るため」『戦争を卒業して』という題で本を書くよう要請する手紙だった。ペイジはそのときの困惑を思い出す。「何だって!戦争から魅力を取り去るだって。一体、誰にそんなことができるんだ。炎上する戦車や爆発するヘリコプターから魅力を取り去ることなどできるわけはない。セックスから魅力を取り去ろうとするようなものだ。戦争は愉快(※傍点有り)(傍点著者)なものだ」(P.509)
→この部分が「信じられない」という御仁は、率直に言って戦争・平和のどちらの研究に対しても根本で素質が無いと愚考している。

テーマ: 考えさせられる本

ジャンル: 本・雑誌

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読書録其の19(第一次大戦とは何か) 

書名:イギリスと第一次世界大戦
著者:ブライアン・ボンド
訳者:川村康之
出版社:芙蓉書房出版
価格:(金3500円+消費税)
刊行年:平成18(西暦2006)年 第1刷

第一次世界大戦というと、我国では馴染みの無い戦争というのが正直なところで少し戦史に興味をもたれる人でしたら、戦車や飛行機や機関銃に毒ガス等の数多くの新兵器が投入された戦争であり、近代総力戦という概念にふさわしいものだったということを認識されているかもしれません。またもう少し詳しくなると『機関銃の社会史』にあるような塹壕戦に対して「無慈悲に勇敢なる歩兵に対して突撃を反復命令する将軍達」という一時我国で風靡した乃木評を聞いているような記述を思い出すところがあるかもしれません。今回の紹介するこの書はこうした我国で聞きなれた評論からは少し毛色の違う軍事史から見た視点に特色があります。

さて、前置きが長くなりましたがいつものように紹介を致します。

※():私注となります。

・ある大国が国際的な協定を破り、何の罰も受けずに小さな隣国を侵略することが許されるのなら、ヨーロッパの文明は痛手を被ることになる。この見解は、あらゆる階層の人々の支持を受けたように見え、戦争中の驚くほど長い間、またこの戦争に愕然とするほど巨額の費用がかかることが判明した後でさえも、支持され続けた。(PP.13)
→この当時の認識を忘れると、簡単に人々が戦争を回避できたと考えてしまうと言うことか。

・実際、初期の予想とは反対に、政府がたとえば検閲や宣伝という様々な手段を用いて世論を形作ろうとしたが、その重要性はあまりなかったという多くの証拠がある。新聞の検閲には一貫性がなく、驚くほど寛大だったが、新聞業界の大物たちの新聞には国民の士気を維持し、軍隊を支援する義務があるという確信によって、検閲の必要性はほとんど問題にならなかった。したがって、実際には大量の部数を発行する日刊紙が、イギリスの参戦理由の正当性を強調し、またそれと同じくらい重要だが、参戦を支持しない個人や集団に対してその根拠を否定するためにあらゆる努力をした。そのため、新聞は平和主義者、良心的兵役拒否者、ストライキに参加する者、その他の戦争に反対sていると考えられる者を常に敵視した。(PP.16~17)
→我国も後30年ぐらい経過すると、第二次大戦中の報道統制なるものの実態が上記英国と大差がない状況と論じられるときがくるのではないかと思う。我国の戦時中の報道統制の実態なるものは戦後の「GHQ統制」と比較するとザルもいい所だというのは直感できるからである。

・(※西暦1916年8月に公開された『ソンムの戦い』について)現代人から見れば戦争の恐怖と虚しさを強く裏付ける映画として解釈されがちであるが、当時の人々は、参戦の理由が正当であると決め込んでいたため、勝利を得るまでは屈しないという決意をされに強めたように見える。(P.19)
→凄惨な大量死を見せれば『反戦映画』になると脊髄反射思考をするのが如何に危険なことかを痛感させられる。

・「細心な計画の結果、各種の構成要素が統合され、他のすべての要素に対する最大の支援を提供した。ここに、どこよりもまして、これらの最終的な戦闘の技術的な進歩があった。イギリス軍は、戦勝のための兵器を生み出したわけではない。彼らが生み出したものは、兵器システム、つまり各種の兵器を相互に支援する全体として一体化したことである」(PP.26~27)

・後で議論するように一、二の例外を除いて、戦争文学(多くの場合戦前、戦後と戦時中の経験を描いた回想録)に現れている考えが普通は複雑で矛盾してさえいることは驚くには当たらない。戦争を主として恐怖、恐ろしいものや流血の惨事として思い出している知識人の何人かは、同時に戦争を好機、特権や開放として経験した。実際に、「戦争に対する相反する矛盾した感情は、最良でもっとも正直な戦争文学の特徴なのである」。(P34)
→我国では残念ながら敗北のためか、後者の意見を抑制する雰囲気があったためか、前者の部分をことさらに強調した不自然なる作品が多く見かけてしまう。

・リデル・ハートは、戦争のいくつかの側面、例えば第一次マルヌの会戦、ソンムの会戦、戦車、一九一八年のドイツ軍の攻勢などに異様に関心を抱いたが、それ以外の砲兵、兵站、幕僚活動や最終的な連合国の勝利などには、それほど興味を持たなかった。彼は不思議なことに、兵士たちの経験した「真実の戦争」とは距離を置いていた。中でも、彼は、戦術や戦略に関する公式見解を知り、高度に知的な、非常に多くの情報が得られるジャーナリストの立場で戦争を観察した。これらの能力によって、彼は優れた「批評家」になったが、戦争の本質とこの問題がどのように取り込まれたかを浮かび上がらせ、理解し、説明することに挑戦すべき歴史家としては、優れていたとはいえない。(P.62)
→確かにリデル・ハートからは第一次大戦時の軍事制度のシステム面における急速な変転を知ることは無理で、下手をすると我国の旧軍人連が述べたような「物量」や「長期損耗」による結果だと読めるところがある。

・つまり、戦争の政治的・戦略的な力学を説明する試みであり、「それによってのみ、ここで語られている人類の悲痛な経験の意味を明らかにすることができる」のである。このことは、ほとんどすべての文学的・文化的な戦争の解釈に共通する主要な欠陥であるように私には思われる。もしも政策や戦略が除外され、あるいは適切に説明されていないとしたら、破壊と膨大な死傷者への自然な反応として、「無益な」とか「無駄な」という言葉があまりに容易に受け入れられることになる。(PP.84~85)
→そして後者の意見に染まると、「無益な」か「無駄な」行為に関わった当事者を愚鈍視するかもしくは冷笑するという甚だ傲慢なる思考形態が蔓延することとなる。

・それは、おそらく、トラヴァースの伝統的・近代的兵器の定義が砲兵を前者(すなわち、進歩的でない)に区分しているのに対して、大部分の学者は砲兵を軍事における革命(RMA)の基盤となった決定的に革新的な兵器であると考えたことに一部の理由があるのであろう。(P.100)
→第一次大戦時というのが、それまでの砲兵の役割とは大きく異なるものだという認識が、我国では薄いのが現状である。

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読書録其の12(ある新品士官による解剖記其の二) 

書名:私の中の日本軍 下巻
著者:山本七平
出版社:文芸春秋(文春文庫)
価格:(金514円+消費税)
刊行年:平成17(西暦2005)年 第10刷

前回に引続きまして、紹介をして参ります。

※():私注となります。

・しかしだれ一人(※運命共同体という環境の兵隊間ですら)として、「お前の本当の苦しみは何だ、それをありのまま語ってくれ、おれにできることなら何でもする」とはいわないし、それに気づかない――そしてただ一方的に一人よがりに、この兵士に勝手なことをいい、そして最後には「これだけ言ったのに、貴様はまだワカランカッ。ひとの迷惑を考えてみろッ」と言うだけなのである。(P.14)

・こういった「エサ」に等しい食事や動物に等しい生活を何年も強制された者が、全く予期せず、不意にタタミにすわらされて、まがりなりにも「日本食」らしきものを出されたらどうなるか―――人は私の言うことを信用しないかも知れないが、大の男が、いわば歴戦の勇士、あらゆる苦難に耐えてきた人びとが、文字通り、手放しで泣き出すのである。この「感覚的里心」ともいうべきホームシックは、それほど強烈なものである。(P.27)

・「戦意高揚のために書いた」という言葉自体が「私たちは内実は新聞記者ではなく宣撫班員でした」という自白に等しい言葉だが、事実、「百人斬り競争」にしろ「殺人ゲーム」にしろ、宣撫班文書としてなら立派なものであり、これを書いた人たちはみな実に有能な宣撫班員だとはいえる。(P.33)
→そして今でも継続中の事なのでもある。

・(※兵と起居を共にすべきだというマジメ将校の意見に対して)「そう言ったって、陣地の後方のジャングルに師団長宿舎や所属家屋、司令部用宿舎を作るとなれば、結局兵隊は余分の重労働で苦労がますだけだ、つまるところ、そういう主張をする人も、杖をつかわにゃ歩けないほどツルツルすべるあの伐開路で、材木や砲弾をかつぐということが、どんなに苦しいことか知らないから言えることなのだろう」と。(P.39)

・私はときどき思うのだが、それが軍隊と呼ばれようと自衛隊と呼ばれようと、そういった組織をこのような体制で保持することは、絶対してはならない、とは断言できると思う。何しろ武装集団である。電報一本でその責任者の一人を有無をいわせず罷免できる強力な責任体制なしで武装集団を保持することは、非常識ではないであろうか。もちろん私がいうのは「実質論」であって「形式論」ではない。形式なら昔もととのっていた。ただ「御名御璽」を見て、「エエッ」と驚くのが実質であった。(P.53)
→我国の再軍備で実質上最大問題の一つとみて間違いない点で、間違っても我国流の「文民統制」などではないことだけは確かである。

・マスコミが華やかに活動していることは、言論の自由とは関係ない。戦争中、NHKも大新聞も華やかに活動していた。要は、一個人が何ら圧迫もうけず自主規制もせず、自分の考えていることを全然自らごまかすことなく率直にそのまま言えるかどうか、にかかっているのであろう。その権利を制限する資格はだれにもないはずである。(※中略)どのように時代がかわろうと、時の権力を批判するような顔をしつつ実質的にはその権力と密着し、常に何らかの大義名分をかかげては人びとの思考と言論を規制しつづけ、また規制しつづけようとしてきた人びと、いわば常に「規制する側」に立ってきた人びとに理解できるわけがないと私は思う。彼らのいう「言論の自由」とは、「自分たいちの言論による一方的規制力の無制限な自由」ということにすぎないであろう。それは、「言論の自由」ではあるまい。そういう人たちが、「毛語録」一色で塗りつぶされた中国に羨望と嘆賞の言葉を発したとて、私にはそれは少しも不思議ではない。その人たちは、昔もそうであったし、今もそうであるにすぎないから。(P.70)

・日本刀は折れるものではない、曲がるのである。その事実を知らないで「人を斬った」などという人間がいたら、ほらふきである。(P.108)
→週一の割合で試斬をしている方の話でも、兎に角日本刀は良く曲がるということを話されていた。

・(※文中の引用)<筆の序であるが、昔の侍は、戦争の場合、いづれも刀の鍔元から五六寸のところの刃をひいて用ひた事が伝えられている。これは、自分の刀で自身を負傷させる箇所は多くこの鍔元であり、実戦にあたつて、殆ど用もないのも亦こゝであるから、武道に熟不熟を問わず、この部分の刃をひいて置く事の安全な事をおすゝめして置く>(PP.119~120)
→これも良く真刀で負傷する原因として、わたしが見聞した事実と符合している。

・女性は常に戦争に反対であったなどという神話は、私には通じない。戦争をその心底において本当に憎悪しているのは戦場につれて行かれる兵士であって、絶対に戦場にやられる気遣いのない人びとではない。そしてあらゆる問題の解決において、最も有害な存在は、無責任な応援団であろう。そして「現場」に送られる人間にとって最も不愉快な存在は応援団であった。(P.179)
→我国における「真夏の炎天下における運動の恐ろしさ」の理解を邪魔している最も恐るべき人びとは、夏の「熱闘 甲子園」を無邪気に応援する人びとなのだと実感させられる。

・大体、砲兵が敵陣を砲撃し、歩兵が敵陣に突入するということは、歩兵にとっては、友軍の弾着点目がけて突進するということだから、事故が起るのがあたりまえだろう。撤退援護射撃でもこの危険は同じである。(P.195)
→おそらく第一次大戦中に鉄帽が急速に普及した大きな要因のはずだが、指摘されない点である。

・戦場の軍人は必ず「敵は強かった」という。これは現実に敵と向きあっている人間の実感である。同時にこれは一つの自慢なのであって、「その強い敵に勝った」のだという意味である。(P.199)
→これは戦史を紐解くときに必ず無意識の前提として頭に入れておく必要があるように思う。

挙げればきりがないためここで終りますが、此の他にも三十数星霜という年月を経た今でも十分に興味深い指摘や考えさせられる記述がある著作だと私は考えているので、是非に時間がありましたら一読を薦めたいと思います。

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